ロベルト・バルティーニ、世界で最も謎めいた航空機設計者(下)

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ノボシビルスクに掲げられたバルティーニの肖像/Kirill Kukhmar/TASS/Getty Images

ノボシビルスクに掲げられたバルティーニの肖像/Kirill Kukhmar/TASS/Getty Images

「VVA14はバルティーニが自身の目で飛行の様子を見た唯一の設計機だった」「彼は大半の時期を刑務所で過ごしていたため、他の機体が飛ぶところは全く見ていなかった。現場にいた人は、バルティーニが目に涙を浮かべていたと証言している。彼が死ぬ直前のことだった」(テザク氏)

1機目の試作機は100回以上の飛行を行ったが、垂直離陸用のエンジンが存在しなかったため、2機目はついに完成しなかった。

バルティーニは1機目のVVA14をエクラノプランに改造することでプロジェクト復活を図ったものの、その結果を見届けることなく死去した。

同機は80年代半ばまで試験が続けられた。だが、冷戦が終結すると使い道はほとんど残されていなかった。1機目の試作機の残存部分は今、モスクワ近郊の中央空軍博物館で野ざらしになっている。主翼は見当たらない。

バルティーニとその神話

バルティーニの仕事は航空機にとどまらなかった。65年には「物理定数間の関係」と題された科学論文を発表し、6次元に基づく新宇宙理論を唱えた。物理学と自然科学への関心の集大成だった。

彼の時代のニコラ・テスラと呼ばれることもあるバルティーニは才気あふれる天才であり、それが時に彼をめぐる突拍子もない主張を生み出した。

バルティーニがサンテグジュペリの古典小説「星の王子さま」に登場する飛行士の着想源になったという人もいれば、若い頃のエピソードはすべて作り話であり、「バルティーニ」の名はでっち上げだという人もいる。バルティーニ自身はこの名を「ベラ・アビス・ルブラ・テロレム・インフェルト・ニグラ(Bella Avis Rubra Terrorem Infert Nigra)」というラテン語の各頭文字を取ったものだと冗談めかして説明していた。意味は「戦争においては、赤い鳥が黒い鳥を恐怖に陥れる」と翻訳され、ファシズムの航空機に対する共産主義の航空機の優位性を言い表している。

モスクワの墓地にある彼の墓石にも、次のような同趣旨のエピタフが刻まれている。「彼はソビエトの地で自らの誓いを守り、赤い航空機を黒い航空機より速く飛ばすことに生涯をささげた」

彼は死ぬ前に遺言で、自分の論文は封印して、生誕300周年の2197年になったら開封してほしいと依頼したとされる。ひょっとしたらその時までには、バルティーニの謎がすべて解けているかもしれない。

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