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忘れ去られたソ連版「スペースシャトル」、カザフの草原に眠る

カザフスタンの倉庫に放置されたソ連の宇宙船「ブラン」

カザフスタンの倉庫に放置されたソ連の宇宙船「ブラン」/DAVID DE RUEDA

冷戦時代にソビエト連邦が米国のスペースシャトルに対抗して製造した宇宙船「ブラン」は、わずか1度飛行した後に使用停止となった。当時、ソ連が進めていたブラン計画の遺物が、今もカザフスタンの草原に放置されている。

現在、シャトル2機とロケット1機が使用されなくなった格納庫に保管されているが、一般公開はされていない。この格納庫はモスクワの南東約2400キロに位置するバイコヌール宇宙基地内にあり、近くにはブランの初飛行時に使用された発射台もある。

スペースシャトルにそっくり?

ロシア語で「吹雪」を意味するブランのデザインは、米国のスペースシャトルに酷似していた。それは決して偶然ではない。「ソ連はスペースシャトルと同等の最大積載量を求めていたため、スペースシャトルと似た寸法の宇宙船が必要だった」と語るのは、ソ連の宇宙開発の歴史を研究しているバート・ヘンドリックス氏だ。

米航空宇宙局(NASA)が開発したスペースシャトルは、基本的に国防総省の依頼で大きな貨物を軌道まで運ぶ「宇宙トラック」だった。国防総省はスペースシャトルを使って複数の軍事衛星を配備する計画だった。

「スペースシャトルがもたらす軍事的脅威を認識したソ連は、ブランの開発を決断した。米国がスペースシャトルを開発していなければ、ソ連がブランを開発することもなかった。ソ連にとってブランは軍拡競争の一環にすぎなかった」(ヘンドリックス氏)

1988年11月、バイコヌール基地から打ち上げられるブラン
1988年11月、バイコヌール基地から打ち上げられるブラン

構造的な違い

スペースシャトルとブランは全く同じというわけではない。外見は似ているが、一見しただけでは分からない大きな構造的違いがいくつかあった。第一に、スペースシャトルのオービターは宇宙を飛行するためのエンジンを備え、大型ロケットは燃料タンクとして使用していた。一方、ブランのオービターにエンジンはなく、エネルギアと呼ばれる、より大型の本格的なロケットに取り付けられているだけだった。しかし、これによりソ連は宇宙へのより柔軟な貨物輸送が可能になった。

またブランには、非常時に脱出するための射出座席が乗員全員分備えられていたが、米国のスペースシャトルはこのような装置を備えていなかった。さらに、スペースシャトルには設計上の欠陥があり、それが原因でチャレンジャー(1986年)とコロンビア(2003年)の2機が飛行中に爆発する事故が起きたが、ブランには大規模な事故につながる欠陥はなかった。

一度きりの飛行

ブランは、ベルリンの壁崩壊の1年前の1988年11月15日に無事に無人飛行を終えた。しかし、このミッションの直後にブラン計画は中止され、最終的に当時のロシア連邦のエリツィン大統領が1993年6月30日に計画を打ち切った。

「ブランは、その後も宇宙ステーションの支援などの民間ミッションを遂行できたであろうが、ソ連崩壊後、そのための資金は残されていなかった。ソ連の宇宙計画では基本的に、ブランを当面必要としていなかった」とヘンドリックス氏は語る。

初飛行に使用された1号機「ブラン」は、バイコヌール宇宙基地内の建物に保管されていた。しかし、ずさんな管理とカザフスタンの草原地帯の極度の温度差により、2002年に建物の屋根が崩れ、機体を完全に破壊した。

バイコヌール宇宙基地内にはさらに3機が保管されていた。そのうちの1機である本格的な試験モデルが屋外に放置されていたが、2007年に近くのバイコヌール博物館に移送され、現在も同博物館に展示されている。残りの2機は今も格納庫に放置されている。

30年分のほこりをかぶったブランだが、保存状態は良好だという
30年分のほこりをかぶったブランだが、保存状態は良好だという

放置されるに至った理由

かつてソ連の宇宙計画の誇りだった宇宙船が、なぜ30年近くも鍵すらかかってない建物の中で腐食するまで放置されたのか。

「どういうわけか人々の関心や資金が十分に集まらず、これまでこれらの宇宙船を博物館に展示することができなかった」とヘンドリックス氏は語る。

ネックになったのは輸送コストだ。「バイコヌール博物館にはすでにオービターが展示されており、宇宙船をロシアの他の場所や外国に運ぶのは事実上不可能になった。また、これらの宇宙船はもはやロシア政府の所有物ですらない」(ヘンドリックス氏)

2008年にドイツの博物館がブランの宇宙船に興味を示し、1200万ドルを提示したが、特別機での輸送に費用がかかりすぎることから、商談は成立しなかった。

「結局、この博物館は諸事情でバーレーンに流れ着いた別のブランオービターを購入した。このオービターはボートでドイツに輸送された」(ヘンドリックス氏)

それでも2017年に現地を訪れた写真家のダビド・ドゥルーダ氏によれば、ブランを救うことはまだ可能だという。同氏は「シャトルもロケットもほこりや鳥のふん、激しい温度変化などに30年近くさらされてきた。年月がもたらす影響は確かにある。しかしそれを別にすれば、状態はかなりいい」と語った。

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