孫の卒業式のためケニアからはるばる米国に駆けつけた祖父、翌日行方不明に
家族が「車に乗せないで」と呼び掛け
ワイサカさんはその朝、家を出た後で2回、通りかかった車に乗せてもらって移動した。この2回で状況が一変したと、家族は言う。
カレラ警察の責任者、デービッド・ハイチ氏によると、捜査チームはワイサカさんを乗せた運転者2人から事情を聴いた。1回目は、ワイサカさんが8軒先の家をウィリングトンさん宅と勘違いし、近所の人にそこで降ろしてくれと頼んだ。その場で今度は食品宅配サービスの車を止め、「町まで」乗せてほしいと告げた。ハイチ氏によれば、運転手はガソリンスタンドで車を止め、ワイサカさんはここでいいと言った。
ガソリンスタンドで最後に姿が確認されたのは、午前11時43分だった。
その後、ワイサカさんらしき人物がガソリンスタンド近くの狩猟場に入るのを見たと、近くに住む女性から通報があった。ゲートの下をくぐり、雑木林の中へ消えていったという。
警察はこれまでに、近隣住民への聞き込みを数回繰り返した。捜査チームは、ワイサカさんがガソリンスタンド裏にあるトラック用のドライブインからさらにもう一度車に乗せてもらい、町外へ出た可能性もあるとみている。
ワイサカさんがいなくなった直後に、家族は地元テレビ局を通し、ワイサカさんを車に乗せないでほしいと呼び掛けた。車に乗るたびに遠くへ行ってしまうとの懸念からだ。
ハイチ氏によると、ワイサカさんが姿を消してから、町の警官らは18日間、休みなく働き続けた。手がかりは次第に尽きてきたが、同氏は家族に、ワイサカさんが見つかるまで捜索をやめないと約束している。
住民らもこれまでビラを配ったり、林の中の道をくまなく捜したりしてきた。協力の申し出は後を絶たなかったと、ハイチ氏は話す。
「全員に対応することさえできなかったほどだ」「夜間の赤外線カメラによる捜索や警察犬を使った捜索では、誤認を避けるため善意の人々に退去願う場面もあった」という。
ワイサカさんは失踪時、ケニアの携帯電話を持っていた。ハイチ氏は米連邦捜査局(FBI)のナイロビ支局を通し、現地の通信業者に追跡を依頼した。結果が出るまでには数日かかった。
ハイチ氏によると、この携帯電話が最後に信号を発したのはフランクフルト。機内モードになっている可能性があり、追跡は困難だという。ワイサカさんは米国のB2(短期観光)ビザを取っていたが、それを添付したパスポートは携行していない。ケニア通貨はいくらか持っていたかもしれないが、米ドルの手持ちはないと、家族は話す。
カレラの捜査チームは地区内の廃屋を捜し、ホームレスの宿泊施設や病院、移民当局者らにもワイサカさんの情報がデータベースに登録されていないかどうか確認してもらうため、定期的に連絡を取ってきたという。
ハイチ氏は、自身の父親が認知症だったので家族の苦悩が分かると語った。また、この件をきっかけに知り合った地元ケニア人コミュニティーとの関係を今後も維持したいと話している。
真実を問い続ける親族
ワイサカさんにはケニアに2人、米国に2人の子どもがいる。娘のエミリー・バルアさんは米北西部ワシントン州レントン在住だ。
ウィリングトンさんは25年前に米国へ移住してからほぼずっと、バーミンガム周辺に暮らしてきた。カレラの小さな町ならではの魅力や、冬の穏やかな気候が気に入ったという。
ワイサカさんがいなくなってから5日後の5月20日、孫のバイロンさんはカレラ高校を卒業した。
卒業式の前には親族一同が手をつなぎ合い、行方不明のワイサカさんにしばし思いをはせた。バイロンさんがステージ上で卒業証書を受け取ると、一同はくじけずがんばろうという決意とともに、拍手と歓声を送った。
答えが出ないまま時ばかりが過ぎて不安が募るなか、家族は次から次へと浮かぶ質問にさいなまれている。ワイサカさんは犯罪の被害に遭ったのか。生きているだろうか。だとしたら、所持金ゼロでどうしのいでいるのだろう。
ウィリングトンさんによると、ワイサカさん夫妻の便は夕方に到着した。ワイサカさんはアルツハイマー病など認知症患者によくみられる「夕暮れ症候群」を起こしていたのではないかと、ウィリングトンさんは言う。夕方に混乱や不安、攻撃的な行動が表れ、それが徘徊(はいかい)につながるという症状だ。
妻のエリザベスさんは先月20日、家族らのいるケニアに帰国した。CNNは取材を試みたが本人は拒否。息子によると、取り乱していてメディアと話せる状態ではないという。

ワイサカさんと妻のエリザベス・バルアさん/Courtesy Emily Barua
夫妻は過去に2回、2017年6月と19年5月に米国を訪れていた。どちらの訪問時もワイサカさんの健康状態は良好で何の問題も起きず、19年には滞在を数カ月延長したほどだったという。
先月3日はワイサカさんの73歳の誕生日だった。ウィリングトンさんは夫妻が帰国する直前の週末、父の日の15日にワイサカさんの誕生日パーティーを開く予定だった。
ケニアの伝統料理、ヤギのローストをつくって、全米各地から友人や親族を招くことにしていた。そろいのシャツを着るチャンスだったかもしれない。
だがパーティーは開かれなかった。
ワイサカさんに何が起きたのかは、今もなぞのままだ。トラック会社を所有するウィリングトンさんは、行く先々でトラック用の休憩所やドライブインにビラを張り、林を通り過ぎるたびにスピードを落として木々の間をのぞき込む。
電話が鳴ると、そのたびに胸の鼓動が速くなる。答えが聞ける期待と不安を抱きつつ、電話に出るのだ。分からないということが一番つらいと、ウィリングトンさんは話している。