ハドリアヌスの長城近くで見つかった巨大な靴、古代ローマの兵士をめぐる謎が深まる

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「ハドリアヌスの長城」の近くにあった軍事要塞(ようさい)の遺跡から非常に大きな靴底が発見された/The Vindolanda Trust

「ハドリアヌスの長城」の近くにあった軍事要塞(ようさい)の遺跡から非常に大きな靴底が発見された/The Vindolanda Trust

(CNN) ローマ帝国の北西の辺境を侵略者から守っていたことで知られる全長約117キロの石造りの防壁「ハドリアヌスの長城」の近くにあった1世紀の軍事要塞(ようさい)の遺跡から非常に大きな靴が発見された。今回の発見によって、要塞の住民の生活と起源について新たな疑問が浮上している。

巨大な革の靴底は、5月にスコットランド国境のすぐ南に位置するマグナ要塞で発見された34足の履物のひとつ。これ以外にも作業靴や幼児サイズの靴などが見つかっていた。これらの履物は、遺跡とその周辺にかつて暮らしていた4000人の男性や女性、子どもたちの姿を浮かび上がらせるのに役立っている。

靴のうち8足は長さが30センチ以上で、ナイキのサイズ表に基づく米国の男性用サイズでは13.5以上に相当し、現在の基準では平均的よりも大きいことになる。このため、この要塞は非常に背の高い兵士らによって守られていたのではないかとの観測が出ている。

一方、近隣の要塞で発見された古代の靴の平均サイズは米男性用サイズの8に近かった。今回の発見に関する声明が明らかにした。

発掘調査を率いる考古学者のレイチェル・フレーム氏は「最初の大きな靴が地面から発掘され始めたとき、我々はさまざまな説明を試みた。冬用の靴だったのか、それとも詰め物をして靴下を重ね履きしていたのかなどだ」と述べた。「しかし、さらに多くの大きな靴がみつかり、さまざまな様式の靴も見つかったので、単に足がとても大きかった人々だったと考えるようになった。

マグナ要塞での発掘が続くなか、フレーム氏はさらなる調査によって、これらの巨大な靴を履いていた人物が誰なのかが解明されることを期待していると述べた。

考古学者は、マグナ要塞が使用されていた当時は、西暦85年ごろに建設されてから数年ごとに複数のローマ軍の部隊とその家族が同地に移り住んだと考えている。

要塞の壁や祭壇の碑文によれば、現在のシリアから来たハミアンの弓兵や、クロアチアとセルビアから来た山岳兵、オランダから来たバタビア人が定住したことが記されているが、こうした人々が要塞に滞在した期間は不明だ。

フレーム氏によれば、兵士らはローマ軍の命令に従って要塞から遠く離れた地域へ出発し、その際に急いで靴や衣類、そのほかの所持品を周囲の塹壕(ざんごう)に捨てることが多かったとみられる。

さらに、より広い空間を必要とする新たな居住者は、既存の要塞の上にさらに大きな建造物を建設し、壁の間にはがれきや粘土を詰め込んで、前の居住者が残していった所有物を閉じ込めたと考えられる。

ウェスタンオンタリオ大学のエリザベス・グリーン准教授は「考古学者として我々はごみが好きだ。物がそのまま残され、あるいは忘れ去られたままになっている居住地層が見つかり、その空間について、より多くの多くのことを教えてくれる」と語った。グリーン氏は近くのビンドランダ要塞で見つかった数千足の靴を研究している。ビンドランダ要塞は1970年代から発掘が行われており、ハドリアヌスの長城沿いの要塞の中でも最もよく研究されている場所の一つ。

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