交代の仮眠と携帯トイレ、アンフェタミンも 長時間の爆撃任務完遂のために必要なこととは
(CNN) 米軍が21日にイランの核施設3カ所を狙って実施した空爆は、使用されたステルス爆撃機B2のパイロットたちにとって人間の持久力の限界に挑戦する37時間もの過酷な任務だった。
それぞれ2人のパイロットが搭乗した7機のB2は、地球半周分の距離を連続飛行で往復。作戦は現代軍事史上最長の空爆の一つとなった。
メルビン・ディエール氏は、今回のような長時間任務中のコックピットがどんな状況なのか理解する数少ない人物の一人だ。米空軍の退役大佐である同氏は2001年、B2の搭乗員としてアフガニスタンでの爆撃任務に従事した経験を持つ。44時間に及んだこの任務は、現在も最長記録を維持している。
ディエール氏は21日の作戦を「信じられないほどの偉業」と形容した。攻撃に使用された航空機は125機以上。米ミズーリ州のホワイトマン空軍基地から東へ飛び立った7機のB2以外にも、陽動の一環として複数のB2が西の方角へ飛行した。B2には複数の戦闘機、偵察機、空中空輸機が従った。
現在は米空軍指揮幕僚大学(ACSC)で最新の核抑止力の研究機関を統括するディエール氏は、今回の自身のコメントについて、あくまでも01年の個人的経験からのものであることを強調。21日の空爆についての知見は持っておらず、国防総省の見解を述べるわけでもないとした。
「大統領から電話があれば、我々は飛ぶ」
ディエール氏が参加し、空爆の最長記録を作った「不朽の自由作戦」は、ジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が国際テロ組織アルカイダとイスラム主義勢力タリバンを標的に発動。01年9月11日の同時多発テロ発生から1カ月足らずで行われた。アフガニスタン上空での初期の一斉爆撃には、長距離かつ高高度を飛行できるB2のような爆撃機が必要だった。
当時ホワイトマン空軍基地では、任務に適格とされたパイロットらがシミュレーターを活用して睡眠サイクルに関する計画を立てていた。しかしそれらのシミュレーターは基本的に24時間までの任務しか想定されておらず、ディエール氏がそれまで経験していた最長の連続飛行時間も25時間だった。
爆撃機の搭乗員は事前に任務について知らされるが、当該の作戦がいつ遂行されるのか、または実際に行われるのかどうかさえ本人たちには分からない状況だった。爆撃の数日前になると、専門の医師が搭乗員たちに休養を促す睡眠薬を与えたと、ディエール氏は振り返る。
「分かっていたのは、大統領から電話があれば、我々は二晩飛ぶということだった」(ディエール氏)
当時の規定では、B2の2人の搭乗員は離陸や給油、爆撃、着陸といった重要な局面ではどちらも座席に着いていることが求められていた。それ以外の時間帯は、座席後方の簡易ベッドで交代で仮眠を取ることになっていた。
この20年間で多少変わったところはあるかもしれないが、当時はそのような形で給油の間の時間帯などに一人ずつ、3~4時間ほど眠ったと、ディエール氏は説明した。
任務が長引くと、搭乗員らは眠らずにいるために薬物の力も借りた。医師からはアンフェタミンの服用が承認されていたという。ただこの方針も20年以上過ぎて変わった可能性があり、21日の任務に参加した搭乗員には当てはまらない経験かもしれないと、ディエール氏は強調した。

イラン核施設攻撃作戦の支援のため、ホワイトマン空軍基地を飛び立つB2爆撃機/509th Bomb Wing Public Affairs/DVIDS
ノースロップ・グラマン社製のB2は、稼働中の爆撃機で最も高価かつ洗練された機体だが、トイレ環境は原始的だった。機内に化学トイレは設置されていたものの、使用できるのは「より重大な緊急事態」のみ。トイレがあふれないようにするための措置だった。
またトイレと操縦席の間に仕切りはなく、プライバシーは考慮されない状況だという。
しかし高高度で与圧されたコックピット内で、パイロットは脱水症状に陥りかねず、水分補給は重要だ。ディエール氏の推計では、当時の自分と相手のパイロットは1時間にボトル1本分の水を飲んだ。化学トイレを使わない時は、ジップ式のペット用携帯トイレで済ませたという。
ディエール氏と相手のパイロットは、尿が貯まった携帯トイレの量や重さを計算した。44時間飛行する間の退屈しのぎだったという。
パイロット用の食事が支給されていたが、ほぼ座っているだけの任務でエネルギーの消費はほとんどないため、あまり多くの食べ物を口にした記憶はないとディエール氏は振り返る。
アフガニスタン上空で、ディエール氏らは約4時間かけて爆撃を行い離脱した。当初から44時間の任務として計画されていたわけではなく、アフガニスタンの領空を離れた後、引き返して再度爆撃を行うよう命じられた。ディエール氏は医師から処方されたアンフェタミンを追加で服用した。2度目の空爆後、搭乗員らはインドの南西約1770キロに浮かぶディエゴガルシア島の軍事基地に着陸した。
任務の報告の間、パイロットらは自分たちが攻撃した標的の映像を確認。その後食事を取り、約1時間の減圧措置を経て、ようやく就寝となった。
「最も現実離れした瞬間」
スティーブン・バシャム米退役空軍中将は1999年、初めて実戦投入されたB2に搭乗し、セルビアでの任務に就いた。CNNの取材に答えた同氏は、今回イランでの空爆に参加した搭乗員たちにとって、B2の離陸は恐らく人生で「最も現実離れした瞬間」だっただろうと語る。
21日の任務が特異だったのは、B2の搭載した爆弾が重さ3万ポンド(約13.6トン)の「GBU57A/B大型貫通爆弾(MOP)」だったことだ。「バンカーバスター」と呼ばれるこの爆弾は、山岳地帯の地中深くに設置されたイランの核施設を攻撃できるように設計されている。
バンカーバスターが実戦で使用されたのは今回が初めて。この種の爆弾を運搬できる爆撃機はB2のみとなっている。
7機のB2が運搬したバンカーバスターの総数は12発以上。B2ほど高度な機体であれば、爆弾投下後の急激な重量喪失の影響も無視できる範囲だった公算が大きいとバシャム氏はみている。
ミズーリ州へ帰還途中の給油は、疲弊した搭乗員たちにとってこれまで経験した中で最も過酷な部類の給油だったと思われるが、米国本土に入り、管制官から「お帰り」の言葉を掛けられる時のことを思って気持ちを奮い立たせていただろうと、バシャム氏は示唆した。