リトアニアの奥深い森に隠された、旧ソ連の核ミサイル基地を訪ねる
(CNN) リトアニア北西部、バルト海東岸から約50キロ離れたジェマイティア国立公園は、湖や湿地、古い村が点在するのどかな土地だ。ここにかつて、「プロクシュティネ・ミサイル基地」と呼ばれるソビエト連邦の秘密基地があった。
基地はその後「冷戦博物館」に改修され、今では園内随一の観光名所となった。昨年は世界各地から3万5000人が訪れた。
来訪者をまず出迎えるのは、数本の有刺鉄線だ。続いて、森の緑と対照的な4棟の白いドームが目に入る。この中に大量破壊兵器が格納されていた。
基地の歴史には、冷戦と核軍拡の論理が反映されている。リトアニア西部は当時、ソ連を構成する共和国のひとつ「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」の一部で、北大西洋条約機構(NATO)諸国を狙う核弾頭を保管するには申し分のない場所だった。
バルト海越しにスカンジナビア諸国とにらみ合うリトアニアは、ミサイル基地や軍事都市、駐屯地が集まる重武装地帯と化していた。近隣のラトビア、エストニアもソ連の支配下で同様の運命をたどっていた。
特に人里離れたプロクシュティネの森は、秘密の地下施設を建設するのに理想的な環境だった。近くのプラテリアイ湖から冷却水が得られ、周りの村の人口は少なく、柔らかい砂地は掘削に適していた。
最高機密の基地
プロクシュティネ・ミサイル基地は2年間の建設工事を経て1962年に完成した。ソ連各地から1万人以上の作業員が送り込まれた大規模な工事は、当然ながら地元住民の知るところとなった。

シリコン人形の存在はこのミサイル基地が今でも稼働しているような感覚をもたらす/Pavlo Fedykovych
冷戦博物館のガイドを務めるアウシュラ・ブラズデイキテさんは、「中にどんな兵器があるのか分からなかったが、この場所のことはみんな知っていた」と話す。
「集団農場ではソ連各地の共和国から来た兵士たちと一緒に働いたけれど、軍の話をしたことはない」という。旧ソ連では、不適切な質問をすれば悲劇的な結果を招く恐れがあった。
基地の警備は厳しく、周囲には全長3.2キロの電気柵が設置されていた。森の奥だったこともあり、住民らは決して近づこうとしなかった。
米情報機関が偵察衛星で基地を発見したのは78年のことだった。この時すでに、米ソ間の軍縮条約に基づいて基地は閉鎖されていた。