旧ソ連の幻の「空飛ぶ怪物」、垂直離陸水陸両用機VVA14

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唯一残るVVA14の試作機。現在はロシアの中央空軍博物館に置かれている/Alamy
写真特集:実用には至らず、旧ソ連VVA14の試作機 

唯一残るVVA14の試作機。現在はロシアの中央空軍博物館に置かれている/Alamy

(CNN) 旧ソ連の異色の航空機「バルティーニ・ベリエフVVA14」。今ではモスクワ近郊の野原に朽ちた状態で1機が残るのみだが、かつては米国の潜水艦攻撃への対抗手段としてソ連が望みを託した機体だった。

VVA14のVVAは「垂直離陸水陸両用機」の略で、14はエンジンの数を意味する。滑走路なしであらゆる場所から離陸し、水面ぎりぎりの高度を飛び続けることができるように設計された。

同機は1960年代、ポラリス弾道ミサイルに対抗して設計された。米国は61年、核抑止の一環で潜水艦隊にポラリスを導入。VVA14の設計者ロベルト・バルティーニの構想では、水陸両用の同機はポラリスを搭載した潜水艦の捜索と破壊に最適な機体になるはずだった。

しかし、この計画はうまくいかなかった。提案された試作機3機のうち製造にこぎ着けたのはわずか2機で、空を飛んだのは1機のみだった。バルティーニが1974年に死去するとプロジェクトも頓挫し、2機目の試作機は解体された。

1機目はほぼ無傷のままモスクワ郊外の空軍中央博物館に送られたが、輸送の過程で問題が発生。同機は荒らされて損壊し、それからというもの修理されていない。

三つの頭を持つ竜

VVA14は水上からも陸上からも垂直離陸できるように設計された/Courtesy Andrii Salnikov
VVA14は水上からも陸上からも垂直離陸できるように設計された/Courtesy Andrii Salnikov

ソ連航空史の歴史家、アンドリー・ソベンコ氏は「VVA14は空飛ぶ船であり、水上や陸上から垂直に飛び立ち、通常の航空機のように高空を飛ぶはずだった」と語る。ソベンコ氏は2005年、設計時にバルティーニの右腕だったニコライ・ポゴレロフ氏に話を聴いたことがある。

「ポゴレロフ氏によると、バルティーニは異色の知性と性格を持つ先駆者だった。同時代の人ではなく別の時代から来たようで、エイリアンと呼ばれることさえあった。バルティーニがソ連の航空機開発に足跡を残したことは間違いないが、彼が有名になったのは主に発想とコンセプトによってであり、実現した構想はわずかだった」(ソベンコ氏)

バルティーニはファシズム台頭後の1923年、イタリアの自宅を離れてソ連に向かった。VVA14については様々なバージョンを構想していて、その中には着水のための膨張式フロートを持つ機体や、海上の船から操作できる折りたたみ翼を備えた機体もあった。

1機目の試作機が空を飛んだのは72年。その後フロートが取り付けられ、水上試験も行われた。

「この試作機にはリフトエンジンや潜水艦捜索のための装置は搭載されておらず、水平飛行時の特性の調査と機体システムの試験のみが目的だった。72年から75年にかけて合計で107回、103時間超にわたって飛行を行った」(ソベンコ氏)

その奇妙な外見から、ロシアの伝承に登場する竜にちなみ「ズメイ・ゴルイニチ」とのあだ名も付けられた。「地上から見ると、VVA14は確かにズメイ・ゴルイニチを想起させる。VVA14もいわば三つの頭と比較的小さな翼を持っていた」(ソベンコ氏)

短かった第二の生

ソ連はVVA14の有効性が限られていることに気づき、プロジェクトを放棄した/Courtesy Andrii Salnikov
ソ連はVVA14の有効性が限られていることに気づき、プロジェクトを放棄した/Courtesy Andrii Salnikov

2機目の試作機は垂直離陸のためのエンジンを搭載する予定だったが、適切なエンジンタイプが開発されなかったため、試作機がほぼ完成しても搭載されることはなかった。これが原因でプロジェクトは頓挫し、同機も解体された。

バルティーニはVVA14をエクラノプラン(地面効果を利用してホバークラフトのように水面付近を高速移動する航空機)に改造することで、同機に新たな命を与えようとした。バルティーニの死後に行われた試験は他のエクラノプランの開発の基礎となり、ソ連は間違いなくこの分野で世界をリードする国になった。

こうした結末を迎えたとはいえ、VVA14のプロジェクト自体は尻すぼみに終わった。

「ソ連軍は非常に早い段階で、VVA14の対潜機としての有効性は乏しいと気付いていたと思う。ごく少数のミサイルしか搭載できないうえ、こうした異色の乗り物をつくる技術的な課題は非常に大きかった。最終的に、軍は対潜任務ではもっと普通の航空機に頼ることになった」(ソベンコ氏)

初代試作機は退役後、製造と試験が行われたロシア南部タガンログから、モスクワ近郊のリトカリノまで艀(はしけ)で運ばれた。そして陸に降ろされると、そのまま放置され、一部が破壊や解体される憂き目にあった。

その後、ヘリコプターで近隣のモニノにある中央空軍博物館に輸送されたものの、同機は今日に至るまで大きく損傷したままだ。

欠けたパーツ

ロシアの中央空軍博物館によると、修理費用は約120万ドルに上る/Courtesy Andrii Salnikov
ロシアの中央空軍博物館によると、修理費用は約120万ドルに上る/Courtesy Andrii Salnikov

中央空軍博物館はほぼ屋外にあるため、コレクションの他の航空機と同様、VVA14は野ざらしになっている。展示場の隅に追いやられ、主翼がないのが目立つ。

ソベンコ氏は、もしVVA14の製造と試験が完了していたら、真にユニークな航空機になっていただろうと指摘する。

「陸上か水上かを問わず、水平にも垂直にも離陸できた可能性がある。船として長時間水上に浮いて対潜戦を実施することもできただろうし、もちろん通常の航空機のように飛行することも可能だっただろう」(ソベンコ氏)

「この汎用性こそ同機の最も異色で突出した特徴だった。だが、VVA14がその真価を発揮することはついになかった」

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