リトアニアの奥深い森に隠された、旧ソ連の核ミサイル基地を訪ねる
地中の奥深くへ
施設の中には、当時と同じように地面の穴から入る。密閉式のドアの上には、ロシア語で「足をふいてください」と書いてある。
基地は複雑に作り込まれた、ソ連の典型的な軍事施設だ。地下の司令センターを中心に通路が張り巡らされている。4カ所に深さ30メートルのサイロ(ミサイル発射装置を備えた地下格納庫)があり、地対地ミサイル「R―12ドビナ」が配備されていた。さらに、緊急用の地下発電所も設けられていた。
90年にリトアニアが旧ソ連からの独立を宣言し、冷戦が終結した後、基地は完全に放棄され、金属の略奪にさらされた。やがて欧州連合(EU)の出資を受け、地元当局が2012年に博物館を開設。司令センターと発電所、サイロ1基が一般公開された。
薄暗い地下の迷路には、旧ソ連のレーニン像やスターリン像、軍の勲章、国旗などが並んでいる。テーマ別の展示ホールを順にたどれば、冷戦の歴史や当時のプロパガンダについてインタラクティブに学ぶことができる。あちこちに本物の兵士そっくりのシリコン製人形が配置され、しかめ面で案内役を務めている。
発電所の跡は、コンピューターゲームの背景に使えそうな光景だ。ミサイル燃料が入っていた巨大な貯蔵タンクもある。
だが最大の目玉はサイロだ。縁に立って30メートルの穴をのぞき込めば、めまいに襲われるだろう。ここからミサイルが発射されることはなかったが、長年の間には犠牲者も出た。

来訪者は当時のサイロを見下ろすことができる/Pavlo Fedykovych
ブラズデイキテさんによると、1人の兵士は点検中に安全ベルトが切れて転落死した。また、ミサイルへの燃料補給作業で硝酸が漏れ、兵士2人が死亡する事故もあった。
隣にはゴーストタウン
4基のサイロのすぐ近くに、名付けられたこともないゴーストタウンがある。ここには基地で働く兵士や将校約300人が住んでいた。

ミサイル基地近くのゴーストタウンにある建物/Pavlo Fedykovych
基地が閉鎖された後、町の事務所ビルの一部は79~90年の間、子どもたちのサマーキャンプ施設として使われた。入口のすぐ後ろにあるバス停には、きのこの上に立つ小人の壁画が描かれている。
町の名残はすでにあまりなく、目を引くのは倉庫の廃虚ばかり。泥と草に覆われ、森に埋もれた古代ピラミッドのように見える。
天国と地獄
重苦しい核ミサイル基地の跡と、周囲の美しい自然。その共存は、リトアニアの現状を象徴しているのかもしれない。
ジェマイティア国立公園を訪れる人々は、サモギティアとも呼ばれるこの地方の豊かな文化の核心に触れることができる。ここには多神教とキリスト教の伝統が共存し、近くの町プラテリアイには18世紀の木造教会がある。じゃがいものパンケーキ「ジャマイチュ・ブリーナイ」などの郷土料理を味わい、プラテリアイ湖で自然に親しむのもいいだろう。
かつて、ジェマイティアの最大の秘密はミサイル基地だった。今ではこの地方そのものが、スローな欧州旅行の秘められた名所となっている。