プロレスラーのハルク・ホーガンさん死去、71歳 「黄金時代」を牽引
プロレスのレジェンド、ハルク・ホーガンさん死去
(CNN) 米プロレス団体WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)によると、プロレスラーのハルク・ホーガン(本名テリー・ボレア)さんが死去した。71歳だった。
ホーガンさんはレスリング史上最高のスターとの呼び声が高く、WWEが現在の巨大団体になるのに寄与した。1980年代から90年代にかけてリング内外で圧倒的な存在感を放ち、一般家庭にも名前が浸透。分野の垣根を越えた主流のスターとして活躍し、映画出演を果たしたほか、世界中で認知される存在になった。
WWEはX(旧ツイッター)で「殿堂入りしているハルク・ホーガン氏の訃報(ふほう)に接し、深い悲しみに包まれている。ホーガン氏は抜群の知名度を誇るポップカルチャーの代表的人物であり、80年代にWWEが世界的な認知度を獲得するのに貢献した」と述べ、遺族や友人、ファンに弔意を示した。

インディアナ州フォートウェインでのショーに登場したホーガンさん=1991年/WWE/Getty Images
フロリダ州クリアウォーターの市当局は声明で、心停止の通報を受け、警察と消防がホーガンさんの自宅へ出動したと説明。ホーガンさんは到着した消防と救急隊から処置を受けたものの、搬送先の病院で死亡が確認された。
警察は記者会見で、ホーガンさんの死に不審な兆候は認められず、調べを続けていると明らかにした。
「24インチのニシキヘビ」と豪語する太い腕と「祈りを捧げ、ビタミンを取れ」という決め台詞を武器に、ホーガンさんは80年代のプロレス黄金時代をけん引した。ホーガンさん自身の人気に加え、「ラウディ」ことロディ・パイパーさんや、「アンドレ・ザ・ジャイアント」の愛称で知られるアンドレ・ルネ・ルシモフさんらとのライバル関係も話題を呼び、プロレスは80年代から90年代初頭にかけて数十億ドル規模の産業に成長した。
90年代半ばに当時のWWFからWCW(ワールド・チャンピオンシップ・レスリング)へ移籍した決断はレスリング業界に衝撃を与えた。96年の「ヒール転向」と「ハリウッド・ハルク・ホーガン」としての活躍はプロレス史上屈指の名場面であり、WCWが83週にわたりテレビ視聴率でWWEを上回る原動力となった。

「レッスルマニアX8」での一場面。ホーガンさんは悪役の「ハリウッド」のペルソナを披露し、ザ・ロックと試合を繰り広げた/George Pimentel/WireImage
その後は移籍などを経てWWEに復帰するも、2015年に人種差別的な発言を捉えた動画が流出。多くのプロレスファンやレスラーの間でホーガンさんの名声に傷がつく結果になった。当時WWEは契約を解除し、公式サイトからホーガンさんに関する文言の多くを削除した。
エンクワイラー紙によると、この発言は「無断撮影されたセックステープ」に記録されており、娘の交際関係に言及した部分に人種差別的な表現が含まれていた。ホーガンさんは発言について謝罪している。