日米のパイロットが原爆開発の地で友好のフライト 80年目の8月6日に合わせ
(CNN) 原爆開発の重要拠点だった場所の上空を翼を並べて飛行する間、日本人パイロットと元米軍将校は、80年前の原爆の恐怖を超えて友情を輝かせたいという願いを込める。
広島への原爆投下から80年となる6日、パイロットのエイドリアン・エイコンさん(69)と前田伸二さん(46)は60年前の航空機ビーチクラフト「ボナンザ」に搭乗し、ユタ州にある歴史的なウェンドーバー飛行場の上空を近接編隊飛行する。
「これは忘れられた歴史だ」「これで改めて関心が高まり、戦争の取り組みにかかわった全ての人に感謝するきっかけになれば。それが重要」とエイコンさんは語る。
ウェンドーバーにいた人員2万人はロスアラモス研究所の科学者と共に、原爆を開発したマンハッタン計画の成功にとって重要な存在になった。付近の塩原は、B29爆撃機の乗員が原爆の模擬爆弾「パンプキン爆弾」の実験を行った場所だ。原爆を投下した米軍機エノラ・ゲイとボックスカーの乗員が、広島と長崎へ向けて出発したのもこの地だった。

ウェンドーバー飛行場の上空を飛ぶB2ステルス爆撃機=2022年5月10日/Staff Sgt. Victoria Cowan/US Air Force
米国立公文書館によると、1945年8月6日と8月9日に投下された原爆の直接的な影響で、少なくとも10万人が亡くなったとされる。その後の日本の降伏により、第2次世界大戦は実質的に終結した。
日本人の心情は複雑だと前田さんは言う。前田さんは日本の農業の町で育った。10代だった1998年のバイク事故で視神経が断絶し、日本での飛行訓練は阻まれた。
米国で「隻眼のパイロット」になったと、前田さんは語る。
2019年に飛行仲間のエイコンさんと出会うと、すぐに当初考えていた以上に共通点が多いことに気づいた。2人とも飛ぶことが大好きなだけでなく、エイコンさんも大きなバイク事故の経験があった。初飛行は車の上だったという冗談をよく交わしていると前田さんは話す。
2人とも単独で世界一周飛行を成功させた経験があり、北極上空を飛行した経験のあるエイコンさんは、21年に世界一周飛行を行った前田さんのアドバイザーだった。
エイコンさんは先生であり、友人であり、兄でもあると前田さんは言う。
エイコンさんは「飛行機乗りとしての仲間意識がある」「私たちのような絆はほかの趣味やスポーツにはなかなかないと思う」と話す。
今回のウェンドーバー上空飛行には、日米関係の発展の象徴にしたいという2人の願いが込められている。第2次世界大戦では事実上、2人の祖先が互いに戦った。
「私たちが初の原爆を投下した1945年当時、日本と米国はいつか同盟国になるだろうかと尋ねたとして、そうなるだろうと答える人は地球上に誰一人いなかったはずだ」とエイコンさんは語る。「あの衝撃と惨状――あれは恐らく米国が下した中で最も困難な決断の一つだったと今も思う」
この問題に関してエイコンさんほど権威を持つ人はほとんどいない。エイコンさんはかつてクリントン政権時代の4年間、核政策担当顧問を務め、米国が核攻撃を受けた場合の報復措置について大統領に提言する立場にあった。
今も世界ではたくさんの戦争が起きていると前田さんは話し、私たちはなぜ歴史から教訓を学ぶことができないのかと問いかける。
前田さんのキャリアも飛躍を遂げた。いまは米航空大手ボーイングで働いている。
前田さんは航空の世界の素晴らしさに触れ、こうした関係をとても誇りに思うと語った。