イスラエル人は「増え続ける」 死亡した人質の母親、息子の精子で生まれる孫に希望託す
(CNN) 「あらゆるものから何かが生み出せる。そう望むのであれば」。イリス・ハイムさん(59)はそう語る。イスラム組織ハマスの人質になった息子のヨタムさんは、パレスチナ自治区ガザ地区で死亡した。これらの言葉の力を借りて、ハイムさんは自身の希望を見つけようとしている。
ここへ来てハイムさんが強く求めているのは、孫の存在だ。その孫はヨタムさんの体から採取した精子で作り出される。ヨタムさんの遺体は2023年12月、イスラエルへの帰国を果たした。
ハイムさんはCNNの取材に答え、息子の死について「最悪の事態が起きた」と振り返りつつ、「それでもそのことに支配されはしなかった」と続けた。
ヨタムさん(享年28)は23年10月7日、ハマスが主導する武装勢力によってイスラエルのクファルアザ・キブツ(農業共同体)から拉致された。それから65日間捕らわれた後の12月15日、他の人質2人と共にイスラエル軍による誤射で死亡した。彼らはガザ北部で、ハマスの手から逃れようとしていた。

拉致されたヨタム・ハイムさんは、ハマスの手から逃れようとしたところをイスラエル軍により誤って射殺された/Hostages and Missing Families Forum
ヨタムさんは死後に精子が採取された唯一のイスラエル人の人質とみられている。遺族はその精子を使って子どもを得ようと、現在陳情を行っている。
死亡時は独身だったヨタムさんだが、ハイムさんによれば生前はいつも子どもを持ちたがっていたという。
イスラエル首相府によると、これまで返還された人質は合計205人。このうち生還したのは148人で、遺体で戻ったのは57人だという。死者の大半は死後数週間が経過しており、精子は使用できない状態になっているが、ヨタムさんの場合は事情が違った。そのため母親のハイムさんには、初孫を得るという思いがけない機会が巡ってきた。
イスラエル政府によると、精子の回収に成功する確率は死後24時間以内が最も高い。長くても72時間が限度だという。
ハイムさんによれば、当時ヨタムさんの死を報告に来たイスラエルの当局者から「精子の回収を要請することができる」と告げられたという。手続きは即座に始まった。
ヨタムさんの精子は期限内に回収された。回収に携わった医師はハイムさんに、5人の子どもを作れるだけの量だと説明した。
ハイムさんは今、ヨタムさんの精子を使って子どもを作る承認を得るべく、厳しい戦いに直面する。成功すれば、今度はその子どもを妊娠、出産してくれる女性を見つけなくてはならない。

ハマスによる奇襲で殺害されたイスラエル人を追悼する式典で、ハイムさんを慰めるイスラエルのネタニヤフ首相(左奥)/Magen/AFP/Getty Images
イスラエルでは遺体からの精子の抽出が認められている。しかし子孫を作る目的でその精子を使用する手続きについては、明確にこれを定義した法律が存在しない。
ハイムさんの弁護士によれば、死後の精子を本人の親が使用するのを認めた家庭裁判所の過去の判例は2例のみ。しかもこのうち1例は、国が控訴した後で覆った。それ以外の要請は全て退けられたという。
弁護士への取材後の先週、イスラエル南部の都市エイラトの裁判所は、女性が死亡した息子から回収した精子を使い、代理出産を通じて孫を得ることを原則認めるとの判断を下した。息子は兵士で、23年にガザで死亡していた。条件としては代理出産する女性の身元に関する特定の要望書を提出し、それを裁判所が承認する必要があるとしている。
一方、イスラエルの国会議員、メイラブ・ベンアリ氏が成立を目指す法案は、遺族が回収した精子を使用するのを正式に認める内容。法案では、死亡した本人が死後に子どもを持ちたいと特段表明していなくても、子どもを望んだ可能性を遺族が証明できれば精子の使用を承認するとしている。
ベンアリ氏はCNNの取材に答え、現時点で法案の実現は進んでいないと述べた。連立与党による反対が理由で、連立は主に宗教政党で構成されるという。
ネタニヤフ首相が率いる連立与党は、過去にイスラエルで実権を握った中で宗教的に最も保守的な部類の政党により構成される。ユダヤ教の戒律に厳格に従う「超正統派」などの会派は、国内の法的、社会的機構の再編を掲げている。
ハイムさんのように死亡した男性の精子を使用する問題には倫理的、宗教的、法的な疑問が絡み、これまでのところ国会議員も対処できていないのが実情だ。
ヨタムさんの家族は現在、親族や友人、本人のセラピストなどから証言を集めて、本人が子どもを欲しがっていたことを証明しようとしている。しかし多くの場合、そのような漠然とした内容を証明するのはより困難なものとなりがちだ。
ハイムさんの弁護士は、普通の男性は「死んだ後でも子どもが欲しい」とはなかなか思わないし、若者であれば特にそうだと指摘した。
従来イスラエルでは、死亡した男性の精子の回収は、(他の親類が反対しないという条件で)本人のパートナーにのみ認められており、両親が回収する場合は法的承認の申請が求められた。しかし23年10月7日のハマスの奇襲後は、保健省がこの規定を緩和している。
緩和を受けて精子の回収は急増。同省がCNNに明らかにしたところによればこれまで死亡した兵士や治安要員から行われた精子の回収は少なくとも224件に上り、民間人からの回収も17件あったという。
「前年までは、そのような回収が行われたのは年間約15~20件だった」(同省)
イスラエルの当局者は再三、ハマスの奇襲を第2次世界大戦中のナチスドイツによる残虐行為になぞらえている。そこにはガザでの紛争がユダヤ人の生存をかけた戦争だとの言説を引き出す狙いがある。
ハイムさんも、孫を持つことをイスラエルの今後の人口増加を証明する手段と位置づける。23年10月7日のような殺戮(さつりく)に遭っても自分たちは増え続けるということを、イスラエル国民として今こそ認識する必要があると、ハイムさんは訴える。新しい命の創造を通じて、自分たちの国のあり方や継続性を敵に見せつけるのだという。
一方で、「我が子を殺された母親なら誰でも、その子から生まれる何かを求める。単なる写真ではなく、手に触れて確かめられる何かを欲しがる」とも言い添えた。その目には涙があふれていた。