「台湾の非武装地帯」金門県、かつての軍事拠点は今や人気の観光スポットに

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金門島は、1949年から92年までの43年間軍政下にあった/courtesy Kinmen County Government

金門島は、1949年から92年までの43年間軍政下にあった/courtesy Kinmen County Government

金門島にある大型拡声器、浜辺の軍事バリケード、秘密のトンネルを見ると、悪名高い南北間の非武装地帯を思い出すと言うリー氏だが、金門島と南北間の非武装地帯の間には多くの相違点があると指摘する。

「DMZと比較し、金門島は戦争の最前線というより観光地としてのイメージが強い」と、リー氏は語る。

放送壁など、軍事拠点だった頃の遺物は中国本土からの旅行者にとって主要な観光名所になっている。今でも大型拡声器からテレサ・テンの曲が流れているが、あくまで観光客向けのサービスで、音量は大幅に抑えてある。

「かつて金門島が軍政下にあった時代は、10万人の兵士が島の経済を支えていた」と金門県観光局のチェンカン・ティン局長は説明する。

「その後、軍事政権が解散し、大半の軍隊が撤退したため、金門島は経済的打撃を受けた。そして(1993年に)金門島が一般開放されて以来、観光が金門島経済の頼みの綱となっている」(ティン氏)

例えば、50年代に設立された金門酒廠(金門酒工場)は、かつて軍が運営する蒸留所だった。金門酒廠が製造する金門高梁酒は今や台湾で最も売れている酒のひとつで、金門酒廠も金門島では必ず訪れるべき観光スポットだ。

また大砲の砲弾は、有名な金門包丁の材料として使われている。

50年代に設立された金門酒廠(金門酒工場)は、今や島を代表する観光スポットに/courtesy Kinmen County Government
50年代に設立された金門酒廠(金門酒工場)は、今や島を代表する観光スポットに/courtesy Kinmen County Government

中国本土と台湾を再び結び付ける小三通

小三通の施行前は台湾と中国本土との間に直接的なつながりがなかったため、金門は「(中国本土と台湾の)両岸の交流が始まった」場所のひとつとなった、とリー氏は言う。

「今、韓国の学者たちが、小三通や、両岸の人々がどのように交流し、普通の生活を送っているのかを研究するために金門を訪れている。韓国と北朝鮮の間で市民の交流がほぼ皆無である現状を踏まえると、金門は韓国人にとっての『研修旅行先』だ」(リー氏)

2001年に両岸の往来の制限が緩和されて以来、金門はさらに開放された。

中国本土からの旅行者は、2015年から事前に許可を申請しなくても金門への旅行が可能になった。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が発生する前は、中国本土からの旅行者には、空路、海路を問わず、到着時に金門島への上陸(着陸)許可が与えられていたが、台湾本島への旅行者はこの特例の対象外だった。

金門島への直行便も拡大し、中国本土の複数の都市から金門空港行きのフライトを提供する航空会社が増えている。またパンデミックが発生する前は、金門島と厦門の間を毎日40便以上のフェリーが運航していた。

パンデミックの影響

2019年には約250万人の旅行者が金門島を訪れ、そのうちの約41%が中国本土からの旅行者だった。そして、旅行者数は今後も増え続けると予想されていた。

しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、20年2月から両岸関係は一時中断しており、フェリーや飛行機の直行便も全て欠航し、今年20周年を迎える小三通に暗い影を落としている。

ティン氏によると、20年に小三通で金門島を訪れた人の数は93.96%も減少したという。

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