フェイスブック、誕生から20年 その歴史を振り返る
ニューヨーク(CNN) 2004年2月4日、米ハーバード大学の学部生マーク・ザッカーバーグ氏が在校生向けに「TheFacebook.com」というソーシャルネットワーキングのサイトを公開した。
公開から20年、ソーシャルメディア大手フェイスブックは「マイスペース」や「フレンドスター」といった初期の競合他社を葬り、急成長するソーシャルメディアで確固たる地位を築き上げ、今もなお過去に例を見ない持久力を発揮している。現在1日あたりのアクティブユーザーは20億人以上。文化や政治の論争の舞台となることもしばしばで、しっかり時代に根差し続けている。
フェイスブックが黎明(れいめい)期の他のソーシャルプラットフォームと一線を画していたのは、当初会員限定のサービスだった点や、「いいね」やコメント、シェア、友人の数、友人や知り合いの近況をニュースフィードで伝える機能で、社会的な関係をゲーム化した点だ。
「文化的な視点で見ると、社交関係がゲーム化に向かう傾向は非常にはっきりしていた」と語るのは、ノースウェスト大学コミュニケーション研究学部でデジタル文化を研究するパブロ・ボツコウスキー教授だ。「フェイスブックはその流れを利用し、成功を通じて、社会におけるそれを強化した。私生活では決してできない方法で、同じグループの仲間が持っているものをチェックして自分と比較できる」
04年、フェイスブックはハーバードの学生限定のサイトだった。その後、数カ月そして数年かけてサイトは拡大。まずは他の大学の学生も登録可能になり、次いで法人ドメインのメールアドレスがあれば高校生や社会人も登録できるようになった。06年になるころには初期のユーザーも大学生ではなくなり、フェイスブックはさらに会員枠を広げることになった。
ザッカーバーグ氏は06年、米紙ニューヨーク・タイムズに、「大学卒業者が出てすでに2年が経ち、サイト利用者の3分の1が大学生ではなくなった」と語っている。ちょうどフェイスブックが13歳以上に門戸を開く直前のことだ。「他の若者も使えるサイトにすれば、あらゆる人々にとって経験を強化できる」
初めからヤングアダルトの心をつかみ、そうした年齢層に力点を置いていたことから、フェイスブックはミレニアル世代の集いの場という印象が定着した。ユーザーは家族や友人、友人の友人と連絡を取り合い、大小問わず日常の近況を伝え、あらゆる話題で自分の意見を発信した。
強力な社会との結びつきがフェイスブックの要であり、他の黎明期のソーシャルメディア・サイトと一線を画していた点だった。
マイスペースの場合、ユーザーがプロフィルを作成して新しい友人と出会う場として人気を集めた一方、フェイスブックは実生活での交友関係を介して人脈を広げることを重視した。
マイスペースは05~08年にかけて高い人気を誇った音楽に重点を置いたソーシャルメディア・サイト。アーティストが自作の曲を投稿し、ユーザーはそこからプレーリストを作成してネット上の友人に送信した。音楽好きが集まる場所としての立ち位置を確立するのがねらいだった。
フェイスブックに大きく引き離され、11年にはシンガーのジャスティン・ティンバーレイク氏など新規投資家がマイスペースを買収。その後4200万曲を利用できる無料の音楽プレーヤーを立ち上げた。マイスペースによれば、インターネット最大の無料の音楽コレクションというふれこみだった。
だが遅きに失した。マイスペースの月間アクティブユーザーは先細りし、調査会社コムスコアによれば、11年中期の時点で推定3500万人。対照的に、フェイスブックの月間アクティブユーザーは同年9月の時点で約8億人に達した。
マイスペースは今も健在だが、19年のサーバー移行トラブルは終焉(しゅうえん)を告げる鐘に他ならなかった。12年間かけてユーザーがアップロードしてきた音声・動画ファイル5000万件が、誤作動の結果失われてしまった。
02年にスタートしたソーシャルネットワーク・サイトのフレンドスターも長続きしなかった。ソーシャルゲームのサイトに転向したものの、数年後の15年6月にはサービスを終了した。交友関係を維持し、共通の興味を共有するという点ではフェイスブックもフレンドスターもよく似ていた。