シェークスピアは「故郷に妻を捨てて上京」の通説覆る?、書簡から示唆 新研究

19世紀の絵画に一緒に描かれたシェークスピアとアン・ハサウェイ/Fine Art Images/Getty Images

19世紀の絵画に一緒に描かれたシェークスピアとアン・ハサウェイ/Fine Art Images/Getty Images

(CNN) 英劇作家ウィリアム・シェークスピアとその妻アン・ハサウェイの結婚生活は、これまで考えられていたよりも幸福だったのかもしれない――。そんな新研究が発表された。

シェークスピアは妻を後に残してロンドンへ上京したとの見方が長年あったが、ブリストル大学の新たな研究結果では、1600年~10年の間の一時期、夫妻がロンドンで同居していた可能性が示唆されている。

シェークスピアは1582年にハサウェイと結婚、3人の子どもをもうけた。専門家の間では長年、シェークスピアはその後ストラトフォード・アポン・エイボンの自宅からロンドンへ移り住み、家族は後に残してきたと考えられてきた。

だが、ブリストル大学のマシュー・ステグル教授(英文学)によると、長らく忘れられていた1通の書簡がこの説を覆すかもしれない。

「ミセス・シェークスピア様」宛てのこの書簡の断片は、ストラトフォード・アポン・エイボンから約80キロ離れた街ヘレフォードで、1000ページの神学書の装丁に縫い込まれているのが見つかった。

書簡の書き手は分かっていないものの、「ジョン・バッツ」という父親のいない徒弟の少年への言及が見られる。

ステグル氏は調査の結果、この条件に合致する当時ロンドンに住んでいたバッツという名の人物を1人だけ発見した。

ステグル氏は4月24日のCNNの取材に、「これがシェークスピア夫妻のことだと考えられる理由は、書簡の日付と場所による。書簡の中心人物である少年を特定することで、時間と場所がおおむね確定する」と説明した。

書簡の書き手は、「ミセス・シェークスピア」の夫がバッツへの支払いを怠っていると非難。夫人に金を要求している。ハサウェイによるとおぼしい返信では、夫を擁護して支払いを拒んでいる。

書簡ではまた、「トリニティ・レーン」と呼ばれる場所に住んでいた「シェークスピア」夫妻への言及も見られる。当時ロンドンに居住していた同姓のカップル4組のうち、比較的裕福なこの界隈に住む金銭的余裕があったのは劇作家シェークスピアとその妻だけだと、ステグル氏はみる。

ステグル氏は今回の発見について、シェークスピアの人生に関するさらなる解明への道を開くものだと指摘した。

「シェークスピアがロンドンのどこに住んでいたのか、正確なことはほとんど分かっていない。従って、今回の発見はその点に関する新たなデータポイントといえる」「彼がロンドンで活躍中、どこでどのように暮らし、どのような生活を送っていたのかを探る新たな手掛かりになる」(ステグル氏)

シェークスピアと妻の関係の再考を迫る見解が浮上していることについて、ステグル氏は女性観の変化とこの分野における学術研究の進展が背景にあるとの見方を示す。

「(アカデミー賞を受賞した1998年の映画)『恋におちたシェイクスピア』のように、シェークスピアには遠くストラトフォードに残してきた厄介な妻がいて、それとは別にロンドンでロマンチックな恋愛を重ねていたとの見方がある」(ステグル氏)

今回の書簡はそんな通説を覆す「ゲームチェンジャー」であり、ハサウェイが夫のロンドン生活で不在だったのではなく、むしろ経済面や社交面のネットワークで存在感を発揮していたことを示唆するものだと、ステグル氏は主張している。

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