北朝鮮で朽ちゆく世界初の「海上浮遊式ホテル」

オーストラリアのグレートバリアリーフの上に浮かんでいたホテルは今、北朝鮮にある/Hyundai Asan Corporation

2021.11.27 Sat posted at 13:35 JST

(CNN) そのホテルはかつて、オーストラリアのサンゴ礁「グレートバリアリーフ」の真上に浮かぶ五つ星の高級リゾートだった。現在、同ホテルは韓国と北朝鮮を隔てる非武装地帯(DMZ)から車で20分の位置に荒れた状態でたたずんでいる。

世界初の海上浮遊式である同ホテルにとって、この場所は約1万6000キロにおよぶ旅の終着点となる。30年あまり前、豪華なヘリ移動や高級料理を提供して始まった旅はしかし、悲劇とともに終わりを迎えた。

華麗な過去を持つこの錆びたホテルは今や解体対象に指定され、不確かな未来に直面している。

珊瑚礁での一夜


海上浮遊式のホテルはダイバーのための短期滞在施設として設計された/Peter Charlesworth/LightRocket via Getty Images

海上浮遊式のホテルを考案したのはダグ・タルカ氏。同氏はイタリア生まれのプロダイバーで、オーストラリアのクイーンズランド州北東岸タウンズビルに住む実業家だった。

「彼はグレートバリアリーフへの深い愛と理解を持っていた」。そう語るのは、タウンズビル海洋博物館の学芸員ロバート・デヨング氏だ。1983年、タルカ氏は日帰りの観光客を双胴船でタウンズビルから沖合のサンゴ礁まで運ぶ事業を展開するため、リーフリンク社を創業した。

だがその後、「待てよ。サンゴ礁の上で一泊できるようにしてはどうか」と思い付いた。

当初、タルカ氏は古いクルーズ船をサンゴ礁に恒久的に係留する案を考えたが、専用の浮遊式ホテルを設計・建設したほうが安上がりで環境にやさしいことに気付いた。建設開始は86年。今は消滅した米大手製鉄企業の子会社、シンガポールのベスレヘム造船所で作業が行われた。

建設に推計4500万ドル(きょうの価値で1億ドル超=約114億円)を要したホテルは、重量物運搬船でグレートバリアリーフ海洋公園のジョンブリュワー礁まで運ばれた。

「この礁はU字形をしていて、中央に静かな水をたたえているため、浮遊式ホテルに最適だった」(デヨング氏)

ホテルは巨大な7つの錨(いかり)を使い、サンゴ礁を傷つけないような形で海底に固定された。汚水が海に廃棄されることはなく、水は再循環処理され、ゴミは本土の施設まで運ばれた。

「当時は五つ星のホテルであり、決して安くなかった」「176室に350人を収容でき、ナイトクラブにレストラン2軒、研究施設、図書館、ダイビング用品を買う店舗を備えていた、テニスコートまであったが、テニスボールの大半は太平洋に沈んだのではないかと思う」

ホテルは悪天候への対処がうまくできなかった。宿泊客はしばしば取り残された

ウイスキー瓶

ホテルにたどり着く方法は高速の双胴船による2時間の旅か、より短時間で済むヘリコプターでの移動かの2択だった。ただしヘリは料金が高く、インフレ調整後で往復350ドルかかった。

当初は新しいことずくめの趣向が話題を呼んだ。ダイバーにとっては夢の施設だったが、ダイバー以外の人も「イエローサブマリン」と呼ばれる特殊な潜水艇のおかげで、サンゴ礁のすばらしい眺めを堪能できた。

だが間もなく、宿泊客に対する悪天候の影響を過小評価していたことが判明する。

「天気が荒れ模様で、飛行機に乗るため街に戻らなくてはいけない場合、ヘリや双胴船の運航が不可能になり、大変な不便が生じた」(デヨング氏)

興味深いことに、ホテルの従業員は最上階で生活していた。海上浮遊式ホテルの場合、最上階は揺れが最もひどく望ましい場所ではない。デヨング氏によると、従業員は天井からつり下げた空のウイスキー瓶を使って海の荒れ具合を推測。瓶が手を付けられないほど揺れ始めたら、宿泊客が船酔いに見舞われるのは確実だった。

「ホテルが商業的に成功しなかった理由のひとつは多分これだろう」(デヨング氏)

わずか1年後、「フォーシーズンズ・バリアリーフ・リゾート」と名付けられたホテルは運営費用が高騰し、一度も満室になることなく閉鎖された。

「ホテルはひっそりと消滅した」とデヨング氏。「その後、観光客誘致を目指していたベトナム・ホーチミン市の企業に売却された」という。

思いがけない行き先


グレートバリアリーフ沖での営業が失敗した後は、ベトナムでの10年を経て、北朝鮮に運ばれた/Hyundai Asan Corporation

89年、2度目の旅に乗り出した海上浮遊ホテルは、約5470キロ北に行き着いた。「サイゴンホテル」と改称され(日常会話では「ザ・フローター」の名称の方が知られていたが)、それから10年近くサイゴン川に係留された。

「大成功だった。その理由は大洋のただ中ではなく、河岸に位置していたためだと思う。水上に浮かんではいたが、陸地につながっていた」(デヨング氏)

しかし98年、ザ・フローターは資金繰りに行き詰まり廃業する結果に。それでも解体はされず、思いがけない新たな命を手にした。北朝鮮が韓国国境に位置する景勝地、金剛山への観光客誘致を目的に購入したのだ。

「当時、韓国と北朝鮮は交流の架け橋をつくろうと協議を進めていた。だが、北朝鮮のホテルの多くは観光客にやさしい場所とは言い難かった」(デヨング氏)

さらに4500キロほど移動した後、ホテルは3度目の冒険の準備が整った。新たな名称は「海金剛ホテル」。オープンは2000年で、運営主体は韓国企業の現代峨山だった。同社はこの地域で他にも施設を運営し、韓国人観光客にパッケージ旅行を提供していた。

現代峨山の広報によると、この時期に金剛山地区は200万人を超える観光客を集めた。

ホテルを利用できるのは北朝鮮の政治エリートのみに限られていたと考えられている

悲劇

08年、北朝鮮兵士が金剛山観光地区の境界を越えて軍事地帯に入った韓国人女性(53)を射殺する事件が発生。その結果、現代峨山はすべてのツアーを停止する対応を取り、海金剛ホテルも他の施設と同様に営業が止まった。

その後の運営状況は不明だが、韓国人観光客に向けた営業が行われていないことは確かだ。

「情報は不完全だが、私は北朝鮮の支配政党の党員のみを相手に営業していたと見ている」とデヨング氏は指摘する。グーグルマップ上では今でも、ホテルが金剛山地区の埠頭(ふとう)に係留され朽ちつつある様子が確認できる。

19年には、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)総書記が金剛山観光地区を訪れ、海金剛ホテルを含む多くの施設をみすぼらしいと批判。北朝鮮文化により適合した様式に再設計する計画の一環として、多くの施設の解体を命じた。だがそこで新型コロナウイルスの世界的大流行が発生し、すべての計画は保留となった。全面解体の計画が近日中に実施されるのか、そもそも実施されるのか否かも分からない。

その間、このホテルは一日、また一日と生きながらえている。海上浮遊式ホテルのアイデアに人気が出る日は来なかったことから、この種のホテルとしては今後も唯一無二の存在になりそうだ。

あるいは、ある意味では人気が出たともいえる。

「現在の海は浮遊式のホテルだらけだ」とデヨング氏。「それらは単にクルーズ船と呼ばれている」

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