ラオスに残る大量の不発弾、米大統領が向き合う負の遺産

ベトナム戦争中に展開した作戦の結果、ラオス全土には8000万発の不発弾が残る

2016.09.06 Tue posted at 14:16 JST

ラオス・シエンクアン(CNN) ラオス北東部のシエンクアン県に住むイェイ・ヤンさんは、あの事故から2年もの間、外出することができなかった。「農作業はできず、友人にも会えなかった。私を見れば怖がるだろうから」と話すヤンさんは「生きていたくないと思った」とさえ言う。

米中央情報局(CIA)がベトナム戦争中にラオスで展開した、いわゆる「秘密戦争」の負の遺産。ラオス全土には8000万発の不発弾が残り、今も多くの住民の生活を破壊し続ける。オバマ大統領は米大統領として初めて同国を訪問し、6日に国民の前で演説する。

22歳だったヤンさんは、ごみを燃やしている時に爆弾が爆発して片方のまぶたと唇、片耳、腕の一部を吹き飛ばされ、上半身に大きな傷跡が残った。「爆発のあと2週間、意識を失った」「全身が激しい苦痛に襲われた。今でも常に痛みを感じる」と訴える。

CIAの作戦は、隣国ベトナムの供給路を断つのが狙いだった。同時に、ラオス北部の共産勢力と内戦を戦っていたラオス政府側を支援する狙いもあった。

米国は1964~73年にかけ、200万トン以上の爆弾を投下。史上最大級の規模の空爆だった。

投下されたのはほとんどが、大量の小型爆弾を放出するクラスター爆弾だった。不発弾の除去活動を行っている米非政府組織(NGO)によると、これまでに除去できた爆弾は1%にも満たない。

オバマ大統領は米国の大統領として初めてラオスを訪れる

戦争終結後、不発弾によって死亡したり手足切断などの重傷を負ったりした人は2万人を超え、年間では約50人に上る。

うち40%前後は子どもが占める。爆弾はテニスボールほどの大きさで、「子どもがよく玩具と間違え、拾って投げたりして遊ぶ。それが爆発することがある」。同NGOの創設者でラオス出身のチャナパ・カンボンサさんはそう話す。

貧しい農家は不発弾の残る地で耕作するしかなく、爆発に巻き込まれることも多い。

5日にベトナムに到着したオバマ大統領は、3日間の日程でラオスを訪問する。「国民はこの問題に関するアメリカ大統領の言葉を聞きたいと願い、米国がここでしたことを認めてほしいと願っている」とカンボンサさんは言う。米政府高官が6日までにCNNに明らかにしたところによれば、同大統領は不発弾処理に関連する費用として9000万ドル(約93億円)の追加拠出を表明する見通しだという。

不発弾の爆発で上半身に大やけどを負ったヤンさん

ラオスでは広大な土地が不発弾のために耕作できない状態にあり、貧困がはびこり、経済発展を阻む要因にもなっている。栄養失調による発育不良の影響は子どもの40%に及ぶという。

米国務省のケリー長官は今年1月にラオスを訪問し、「飢えという課題に直接対応する」と表明した。ここ数年で米国からラオスへの援助額も増えている。

しかし短期的なプロジェクトでは問題は解決できないとカンボンサさんさんは指摘する。オバマ大統領の退任後も米国の援助が続くことを望むと語り、「米国にはその道義的責任がある」と強調した。

30歳になったヤンさんは、3人の子どもの父親になった。事故に遭った時は婚約していて仕事もあったが、今は定職に就くことはできず、家計は妻の収入と、非営利組織からの援助が支える。「自分の子どもたちも被害者にならないか、そしてどうしたら子どもを育てていけるのか、不安に思う」と打ち明けた。

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