バイデン氏のアイルランド訪問 帰郷・外交・政治が交錯

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副大統領時代のダブリン訪問で当時のケニー首相(右)と言葉を交わすバイデン氏/Paulo Nunes Dos Santos/AFP/Getty Images

副大統領時代のダブリン訪問で当時のケニー首相(右)と言葉を交わすバイデン氏/Paulo Nunes Dos Santos/AFP/Getty Images

先月アイルランドの首相から「間違いなくアイルランドの息子」と評されたバイデン氏は、さまざまな場面で自身の気性や懐古気質、政治信条、ユーモアをアイルランドのルーツに帰してきた。ウィリアム・バトラー・イエーツやシェイマス・ヒーニーといった詩人を自在に引用し、イエーツの詩「1916年のイースター」の最も有名な一節は大統領就任後の公式発言に12回も登場している。

「私がアイルランド系だから引用するのだろうと思われている」。バイデン氏は最近の発言でこう語っている。「私が引用しているのは、すぐれた詩人だからだ」

訪問に先立ち、ホワイトハウスは1803年までさかのぼる家系図を配布した。靴職人や土木技師、組合監督といったバイデン氏の祖先は、アイルランドから船で米国に渡った。そのほとんどは40~50年代の飢饉(ききん)の間に国を離れた人々だ。乗船者の多くが途中で命を落としたことから、バイデン氏は「棺おけ船」と呼ぶ。

祖先の経験はバイデン氏に忘れがたい印象を残した。バイデン氏自身、深い喪失を味わったが、その人格の本質には永遠の楽観主義がある。

バイデン氏は大統領としてアイルランドに帰還する計画を前々から暖めていた。アイルランドの指導者との会談や議会演説、北西部にある大聖堂の前での夜間演説も行う予定で、米首都ワシントンには15日に戻る。ホワイトハウスによると、バイデン氏の祖先エドワード・ブルウィット氏は1828年、柱の建設に使われるレンガ2万8000個をこの大聖堂に売却したとされる。

今回の訪問には息子のハンター氏や妹のバレリー氏ら家族も同行する。2016年に副大統領としてアイルランドを訪問した際、バイデン氏は孫や妹とともに6日間をかけて島中を巡った。

偶然ではあるが、この時のアイルランド訪問は、英国の有権者の過半数が欧州連合(EU)離脱に賛成票を投じた日に当たっていた。バイデン氏が反対していたEU離脱の決定は、英領北アイルランドに厄介な問題を突きつけた。

北アイルランドではかつて、英国残留を支持するプロテスタントの「ユニオニスト」と、アイルランドとの再統合を支持するカトリックの「ナショナリスト」の間で流血の対立が発生。この「トラブルズ」は民間人を中心に3500人あまりの死者を出し、死傷者数はさらに多い。

バイデン氏は上院議員として米国の和平努力への支持を公言していた。当時の北アイルランドの司法制度は公平さに欠けると主張し、アイルランド共和軍(IRA)の容疑者の米国から英国への移送に反対したこともある。

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