「ハドリアヌスの長城」が明かす、秘められたローマ帝国史
ラテン語で文章を書いた最初の女性
中でも有名な遺物が、大量に見つかった木製書字板(タブレット)だ。これまで見つかった中で最大規模となる。
「書字板を調べることで、当時の生活がどのようなものだったかが垣間見える」とバーリー氏は話す。「書き言葉でのやり取りからは、『物』を調べるよりもはるかに多くのことが分かる。ただし考古学的には、金属や陶器のような物が残っていることが多いのだが」
「蝋板に尖筆(スタイラス)で跡を付けるのではなく、インクで書かれていた。『道路状況がひどい』『兵士にはもっとビールが必要』といった、我々ならメールに書くような日常の事柄を書くために使用されていたのだと思う」
これらのタブレット、あるいはバーリー氏の言う「個人書簡」は、バタビア(現代のオランダ)の第9コホルスに移動の指示が出た際に焚(た)かれた篝火(かがりび)から見つかった。
「彼らは巨大な篝火を焚き、多くの書簡が火にくべられた。焼け焦げた状態のものもあった。雨が降ったのかもしれない」とバーリー氏は話す。書簡の一つでは現地住民を「ブリトゥンクリ」、つまり「忌まわしい小さなブリトン人」と呼んでいる。結膜炎の集団感染について語る書簡や、道路状況が悪すぎて四輪車を派遣できないと主張する書簡、兵士たちのビールが尽きたことを嘆く書簡もある。
書簡1700枚のうち20枚では、スルピシア・レピディナと呼ばれる女性への言及が見られる。駐屯地の司令官の妻で、重要人物だったとみられる。別の女性パテルナからこのレピディナに宛てた書簡もあり、解熱剤を含む二つの医薬品を送ることに同意している。
もう一つのタブレットには付近の駐屯地にいた別の司令官の妻、クラウディア・セベラからの招待状が記載されている。内容は誕生日パーティーへの招待。書記によって書かれたと思われる正式な招待の下に、別の筆跡で「あなたをお待ちしています。さようなら、私の愛しいお姉さん」との書き込みがある。
この部分は恐らくクラウディア自身によって書かれており、女性によってラテン語が手書きされた最初期の例とみられている。
ビンドランダの珍しい状態は、革や布、木などの有機物が保存されていることを意味する/Courtesy The Vindolanda Trust