「ハドリアヌスの長城」が明かす、秘められたローマ帝国史

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大英博物館の展示会「レギオン」では帝国各地の軍隊の生活を掘り下げている。辺境の基地に暮らしていた女性の生活も対象に含まれる/Peter Nicholls/Getty Images

大英博物館の展示会「レギオン」では帝国各地の軍隊の生活を掘り下げている。辺境の基地に暮らしていた女性の生活も対象に含まれる/Peter Nicholls/Getty Images

兵士らは二つの集団に分かれていた。「レギオナリウス」はイタリア出身のローマ市民で、他の兵士よりも多くの権利を有し、オリーブ油やワイン、ガルム(腐った魚から作ったソース)を持ち込んだ。

レギオナリウスと共に任務に就いていたのが、「アウクシリアリウス」と呼ばれる占領地域出身の兵士だ。レギオナリウスに比べ権利は乏しかったが、通常、25年間軍務に就いた後に市民権を取得することができた。

兵士たちは壁のどの部分を建設しているかを示すため、名前と所属部隊を石に彫った。そのうち50点がチェスターズ砦(とりで)に展示されている。

ただ、ハドリアヌスの長城を調査すると、兵士に混じって女性や子どももいたことが分かる。

マッキントッシュ氏によると、北海沿岸の低地帯や北アフリカから持ち込まれた陶器からは、兵士たちに「連れられてきた家族が伝統的な方法で調理していた」ことがうかがえる。考古学者らは、北アフリカの調理法に使われる古代の鍋とみられるものを発見した。

アルベイア砦に残されたレギナという名前の女性の墓石からは、この女性がブリタニア南部出身の解放奴隷で、シリア人兵士に買われて結婚したことが分かる。

バードスワルド砦に埋葬された別の女性は、現在のポーランドから持ち込まれたとみられる鎖帷子(かたびら)を身に着けた状態で埋められていた。「おそらくローマ軍の誰かと結婚していたのだろう」とマッキントッシュ氏。ハドリアヌスの長城は「世界中からローマ軍の旗の下に集まった人々の坩堝」になっていたと語る。

「忌まわしい小さなブリトン人」

ハドリアヌスの長城にある史跡の一つ「ビンドランダ」からは、ローマ帝国の中でも特に異彩を放つ発見物が見つかっている。考古学者らはここで、多数の有機的な遺物を発見した。学芸員のバーバラ・バーリー氏が言うように、「現地が特異な状態」だったためだ。

ビンドランダには、14層にまたがって少なくとも9個の砦の跡が残っている。「ローマ人は現地を去る時に木製の砦を解体して、一帯を芝と土で覆い、その下に複数の層を密閉した」(バーリー氏)

「これが何度も行われたため、底に位置する5~6層は嫌気環境のうちに密閉されており、物が腐敗しない。底まで掘り進めると、木製の遺物や布地など、あらゆる有機物が見つかる」

ビンドランダで見つかったローマ時代の布地は、西欧の単一の史跡のものとしては最大規模のコレクションになっている。また、ローマ帝国広しと言えど、ビンドランダほど大量に革製品が見つかる場所も他にない。靴5000足のほか、破損した革のサンダルまで見つかっている。「時期にもよるが、人口はおそらく3000~6000人程度だったとみられる。従って、5000足というのは大きな数字だ」とバーリー氏は語る。

地元の植物であるスギゴケから作ったかつらも見つかった。夏のスコットランドではびこる小虫を撃退するためだったと言われている。ケントゥリオ(百人隊長)の兜もスギゴケで覆われているが、これは虫よけスプレーの古代版とみられる。

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