第2次大戦時の不発弾3発を処理、大規模避難命令解除 独ケルン
(CNN) ドイツ西部ケルンの当局者が4日、3発の巨大な不発弾を処理した。これに伴い2万500人の避難を終了した。第2次世界大戦以降のケルンでは最大規模の避難命令となっていた。
市によると不発弾は米国製の爆弾で、2日に造船所で見つかった。これを受け4日午前には広大な「危険区域」が設定され、一帯は封鎖された。
避難対象となった施設には、病院1軒、老人ホーム2軒、そして市内で2番目に大きな駅などがある。学校、教会、博物館、そして市の文化的ランドマークである劇場と音楽ホールも避難区域に含まれていた。
市当局は声明を出し、午後7時19分に兵器処理班の専門家が不発弾3発を無害化したと明らかにした。
当局によると、道路や建物は徐々に再開されており、住民は自宅やアパートに戻ることができるという。

第2次大戦中、連合国による空爆で廃虚と化したケルンの街/Bettmann Archive/Getty Images
第2次大戦中、連合国はケルンを262回空爆し、約2万人の住民が死亡した。街は廃虚と化し、旧市街の建物はほぼすべて破壊された。市内150カ所の教会のうち91カ所も破壊された。
ケルンではこれまでも不発弾が頻繁に見つかっているが、今回ほどの規模の処理作業が実施されたのは終戦以降初めてだと、市側は述べている。