ロシア軍のネパール人傭兵は最多1万5千人、傷心の帰国多く

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ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん/Ramchandra Khadka

ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん/Ramchandra Khadka

(CNN) 3年目に突入したロシアによるウクライナ侵略などを背景に、ロシア政府の勧誘に応じ同国軍に加わったネパール人が最多で1万5000人に達していることが3日までにわかった。

CNNの取材に応じた多数の関係筋が明らかにした。ロシア政府は昨年、金銭的な好条件などを材料に外国人戦闘員の募集に乗り出していた。月給は少なくとも2000米ドルとし、ロシアの旅券獲得は審査期間を短縮して迅速に実現させることも保証していた。

この従軍契約は1年で、署名した外国人兵士は月給が振り込まれるロシアの銀行に口座を設ける。多くの兵士によると、前線で長く戦えば、それだけ多めとなるボーナスも得られる仕組みのはずだった。

一部の兵士は、月給は最大で4000ドルに膨らむと期待したが、これら現金を引き出す方途を知らない者が多くいたという。

ネパール人男性のラムチャンドラ・カドカさん(37)は最近、ウクライナの前線で負傷した後、母国に戻った。外国人傭兵(ようへい)としてロシア軍に編入されたが、ウクライナへ行ったことを後悔していると打ち明けた。

実戦の場へ赴くのはウクライナが初めてではなかった。ネパールでは武装闘争を唱えたネパール共産党毛沢東主義派の一員として1990年代半ばから10年間、政府軍との交戦に明け暮れていた。

この後は民間軍事業者に雇われてアフガニスタンに行き、北大西洋条約機構(NATO)軍によるイスラム主義勢力「タリバン」などの掃討戦への支援に携わった。

カドカさんは自らのこれまでの人生で全てのつらい場面は味わったとの思いを抱いていた。流血、死者の目撃や苦痛などだ。

しかし、ネパールの毛派による武装闘争が終結した後の約17年後、母国で新たな仕事を見つけられる望みはなかった。ロシア軍の誘いに応じる決心をしたのはお金を稼ぐのが目的だったとの気持ちも吐露した。

「遊び心でロシア軍に加わったわけではない。だが、今思えば、正しい決定ではなかった」と述懐。「あれだけ早く前線につぎ込まれるとは考えていなかった。前線があれほどおぞましい状況にあったことも」と振り返った。

モスクワに到着したのは昨年9月。2週間のみの訓練を受けた後、ウクライナ東部ドネツク州バフムートの戦場へ送られた。ウクライナ軍とロシア軍が最も激しくしのぎをけずったとされる戦闘も自らの目に刻み込まれた。ロシアが支給してくれたのは銃と基本的な装備品のみだった。

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