冷戦最盛期、中国がU2偵察機5機を撃墜した時代<上> 「黒猫中隊」の誕生

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U2のコックピットから中国の偵察気球とみられる物体を見下ろす米軍のパイロット=23年2月3日/US Department of Defense

U2のコックピットから中国の偵察気球とみられる物体を見下ろす米軍のパイロット=23年2月3日/US Department of Defense

「ドラゴンレディー」と中国の核

CIAがこれらの米国製偵察機の活動内容について固く口を閉ざしているのは驚くに当たらない。

しかし、50年以上たった今も続くCIAの沈黙は、中国上空でのU2の活動が当時も今もいかに敏感な問題かを雄弁に物語っている。CNNは今回の記事に関してCIAにコメントを求めたものの、返答は得られなかった。

米政府には、25年経過後に機密資料を自動的に機密解除するとの一般的なルールがある。だが、このルールを適用しない理由の一つとしてしばしば挙げられるのが、情報開示が「米国と外国政府の関係、あるいは米国の進行中の外交活動に重大な害を及ぼす」ケースだ。

U2の活動内容をめぐる同時代の証言(その中には撃墜された台湾の操縦士や退役した米空軍将校、軍事史研究者の証言もある)を見れば、情報開示が波紋を広げたであろう理由は想像に難くない。

台湾で製作されたドキュメンタリー映画でのパイロットの証言や、米政府のウェブサイトで公開された史実によると、U2は増大する中国の軍事力を偵察する極秘任務の一環として台湾に供与された。ソ連からの支援で勃興しつつあった中国の核開発も偵察対象になった。

「ドラゴンレディー」の愛称を付けられた新型機のU2は、この任務にうってつけの機体であるように見えた。米国は当時すでに、ソ連国内の核開発プログラムの偵察にU2を使用していた。U2は「前例のない脅威の高度7万フィート」(開発元のロッキード・マーチン)に到達する目的で1950年代に設計された機体であり、その高高度能力のおかげで対空ミサイルの射程外を飛行できた。

あるいは、米国はそう考えていた。1960年代、ソ連はCIAの運用するU2を撃墜し、操縦士のゲーリー・パワーズ氏を裁判にかけた。米政府は表向きの説明(パワーズ氏は気象偵察任務に従事していて、酸欠で意識を失ったためにソ連領空に流された)を撤回し、U2プログラムの存在を認め、捕虜交換によるパワーズ氏の帰国を持ちかけることを余儀なくされた。

「パワーズ氏が1960年にソ連上空で撃墜された一件は、大きな外交問題になった。米国はU2に乗る自国のパイロットがパワーズ氏の二の舞になる事態は望んでいなかったため、台湾に頼った。台湾は自らのパイロットに訓練を受けさせ、中国本土上空を長時間飛行させることに乗り気だった」。U2に関する著書があるクリス・ポーコック氏は2018年のドキュメンタリー「疾風魅影 黒猫中隊」でそう語っている。

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