ANALYSIS

マリウポリ陥落で戦争犯罪の証拠隠蔽か ロシアが攻勢強める可能性も

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焼け焦げたバスの前を歩くマリウポリの地元住民/Alexander Ermochenko/Reuters

焼け焦げたバスの前を歩くマリウポリの地元住民/Alexander Ermochenko/Reuters

全面追及

マリウポリのバディム・ボイチェンコ市長によれば、戦争以前に街で暮らしていた45万人のうち、3分の1は4月中旬までに市街へ避難した。残る住民はわずか10万人。難を逃れた人々はみな戦争の恐怖体験を抱えている。

なんとか街を出られた住民の中には、ロシア軍からいわゆる「選別収容所」を経由してロシアに避難するよう命じられたという人もいる――かつてヨシフ・スターリンが膨大な数の人々をソ連の僻地(へきち)に強制移動させた痛ましい記憶を思い起こさせる行為だ。またロシア軍は一時期、住民が街を出るのを禁じていたとも言われる。

容赦ない砲撃を逃れるため、来る日も来る日も地下で避難生活を送ったと大勢の人々が語った。以前CNNが取材した住民の話では、飲料水の配給の列に並んでいたところ爆発が起き、前に並んでいた3人が死んだという。そのうち1人は頭を吹き飛ばされていた。

ロシア側はこうした数々の主張を否定している。選別キャンプで不正を隠そうとしたことも、マリウポリで民間人を標的にしたことも事実ではないとする。

だがマリウポリ市長顧問のペトロ・アンドリュシチェンコ氏によれば、ロシア軍は早くも戦闘でもっとも被害を受けた場所の一部で撤去作業を開始しているという。

「驚いたことに、瓦礫(がれき)の撤去作業はもっとも破壊が進んだ場所と一致している……劇場、ミル通り、そして今度は突然、病院でも始まった」。アンドリュシチェンコ氏が言う病院とは、3月に激しい爆撃を受けた第3病院のことだ。

爆撃後の映像には、身重の妊婦たちが病院から運び出される様子が映っていた。そのうち少なくとも1人は後日息を引き取った。

ロシアの後ろ盾で新設された市政府のものとおぼしきテレグラムチャンネルでは、市の復旧と「遺体の回収」を行う臨時求人が公開されている。

ロシアが街を完全掌握する中、現地の破壊行為を徹底的に追及することは不可能かもしれない。

ブチャやボロディアンカなど、ウクライナ北部の解放された街で行われたとされる戦争犯罪の規模は、ロシア軍の撤退後に初めて明るみに出た。

マリウポリの住民も同じような残虐行為を受けていた可能性がある。街がロシアの支配下にあるうちは、実際の出来事を正しく伝える記録が、歴史から葬られてしまうかもしれない。

本稿はCNNのネーサン・ホッジ記者の分析記事です。

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