廃墟と化した鉄道駅、豪華ホテルに変身 スペイン

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美しさをとどめながらも長年放置されていた駅舎が、贅を尽くしたホテルに改装された/Barceló Hotels & Resorts
写真特集:歴史に埋もれた鉄道駅、豪華ホテルとして再生

美しさをとどめながらも長年放置されていた駅舎が、贅を尽くしたホテルに改装された/Barceló Hotels & Resorts

(CNN) 雪を頂いたピレネー山脈を背景に、アラゴン峡谷の奥深くで横たわるのは、人目を引く美しい建物だ。ようこそ、カンフランクステーションへ。打ち捨てられた鉄道の駅が、今は豪華ホテルに生まれ変わった。

1928年、カンフランクステーションは壮麗な鉄道中継駅としてオープンし、除幕式にはスペイン王とフランス共和国大統領の両名が出席した。スペイン国内に位置するが、フランスとの国境からもそう離れていない。

第2次世界大戦中、カンフランクは逮捕、スパイ行為、金密輸の舞台となった。だが70年になる頃には駅も廃業した。

その後何十年も休眠状態だったが、美しさをとどめながらも長年放置されていた建物をバルセロホテルグループが運営するホテルに改装しようという動きが起きた。数年におよぶ再生作業の末、カンフランクステーションは2023年1月に最初の宿泊客を迎えた。

鉄道マニアや歴史ファンにとっては、死ぬまでに訪れたい場所のリストが晴れてまたひとつ加わった。一方カンフランク市のフェルナンド・サンチェス・モラレス市長いわく、地元住民も開業を「熱狂的に」歓迎しているという。

「駅が再び息を吹き返して輝いている。大満足だ」と、サンチェス・モラレス市長はCNN Travelに語った。

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改装前のチケット売り場の写真=2005年撮影/Rob Cousins/Alamy Stock Photo
改装前のチケット売り場の写真=2005年撮影/Rob Cousins/Alamy Stock Photo

廃墟(はいきょ)だった頃からカンフランクは人気の訪問地だった。写真家たちはスペインの建築家フェルナンド・ラミレス・デ・ダンピエールが設計した駅に詰めかけ、忘れ去られた欧州鉄道の歴史の面影をフィルムに収めようとした。

廃屋に美しさを見出す人々は、荒廃して不気味な状態のほうが魅力的だと言うかもしれない。

だが再生事業後のカンフランクステーションも実に壮観で、すでに多くの宿泊客が訪れている。

建築家のトマス・オヘア氏は数年前、偶然カンフランクステーションに足を踏み入れた。廃業した鉄道中継駅がホテルになると知ったオヘア氏は、完成後に必ず戻ってくると誓った。

かつてチケットが売られていた駅の区画はホテルのロビーに生まれ変わった/Barceló Hotels & Resorts
かつてチケットが売られていた駅の区画はホテルのロビーに生まれ変わった/Barceló Hotels & Resorts

そしてこの日、北アイルランドのベルファスト在住のオヘア氏は休暇で家族とホテルにやってきた。

「外装は圧巻で、タイムトラベルのような印象を与えてくれる」とオヘア氏はCNN Travelに語った。

オヘア一家はホテルに隣接するスペインの老舗スキーリゾート、カンダンチュで数日間スキーを満喫中だ。

波乱万丈の歴史

1928年にカンフランク駅が開業した時の様子/adoc-photos/Corbis/Getty Images
1928年にカンフランク駅が開業した時の様子/adoc-photos/Corbis/Getty Images

国境に位置していることから、カンフランクステーションは当初フランスとスペインが共同所有していた。現在の所有者はスペインのアラゴン州政府で、バルセロホテルグループと連携してホテルの再生事業を行った。

カンフランクステーションは第2次大戦中に重要な役割を果たし、希望と絶望両方の瞬間を目の当たりにした。

ナチスがカンフランク自治区を占領する以前、ナチス政権の迫害を受けていた欧州のユダヤ人にとって、駅は自由への玄関口だった。

地元紙エラルドでカンフランクプロジェクトを立ち上げ、03年にスペインの報道賞「プレミオ・ナシオナル・デ・ペリオディズモ・デジタル」を受賞したラモーン・ハビエル・カンポ・フライレ記者は、17年にカンフランクの歴史についてCNN Travelにこう語った。

「世界大戦初期の1940~42年、数千人のユダヤ人が電車でカンフランクからリスボンや米国に逃れた」(カンポ・フライレ記者)

カンポ・フライレ記者によれば、カンフランクから列車で逃れた人々の中には、マックス・エルンスト(ユダヤ人ではない)やマルク・シャガールといった画家の姿もあったという。米国人エンターテイナーのジョセフィン・ベイカーも乗り継ぎでこの駅を利用した。

スパイはカンフランクを経由してフランスの反ナチ・レジスタンス運動と合流し、連合国に伝言を届けていた。

「連合国もここを使って、スパイネットワークでフランスやスペインに情報を渡していた」と、2017年にサンチェス・モラレス市長も語っている。

だがカンフランクの自治体は1942年11月にナチスに占拠され、44年6月まで支配下に置かれた。

カンフランク経由での亡命はいっそう困難になり、駅は逮捕劇の舞台となった。

カンフランクはスペインで唯一ナチスに占領された自治体で、ナチス政権は存在感を強めていた。カンポ・フライレ記者の話では、ポルトガルのリスボンへの亡命を図った300人以上が逮捕され、スペイン各地の刑務所に送られたという。

「ドイツは金(やタングステン)の貿易を牛耳り、フランス国旗も降ろした」

ナチスがカンフランク駅から金を密輸していたという噂(うわさ)は長年広まっていたが、実際に確認されたのは2000年のことだった。

カンポ・フライレ記者がCNNに語った話によれば、「ナチスが1942~43年にかけて、駅を拠点に86トンの金を運んでいた」ことをしめす証拠を地元のバス運転手が発見したという。

「欧州や米国の公文書からも、100トン以上の金がこの地域から運ばれていたことを証明する資料が見つかっている」(カンポ・フライレ記者)

入念な改装

内装は1920年代の雰囲気を醸し出しつつ、周辺の自然の風景も参考にしている/Barceló Hotels & Resorts
内装は1920年代の雰囲気を醸し出しつつ、周辺の自然の風景も参考にしている/Barceló Hotels & Resorts

新星カンフランクステーションは駅としての歴史を再認識して保存しつつ、建物とこの地域に新たな歴史の1ページを開こうとしている。

カンフランクでホテルマネジャーを務めるマリア・ベジョスタ氏は再生事業について、「細部にいたるまで入念に配慮した」とCNNに語った。

「建物の個性と壮大なレガシーを微塵(みじん)も失わないようにする」ことが重要だったとベヨスタ氏は付け加えた。

ベジョスタ氏も言うように、「壮大なレガシー」には「壮大な課題」がつきものだ。

28年に建造された建物の歴史的特徴を保ちつつ、現代のホテルの基準や贅(ぜい)に見合うよう工夫しなければならなかった。

「建物のDNAや国際鉄道駅としてのスピリットを維持したかった」(ベジョスタ氏)

マドリードを拠点にするデザインスタジオ「ILMIODESIGN」が手がけたホテルの内装は、ファブリックや装飾、スタッフのユニホームから20年代の雰囲気が漂ってくる。ベジョスタ氏が言うところの「カンフランクの歴史的・文化的・社会的遺産と、20世紀に果たした役割」にも、格別の配慮がなされている。

色彩や色調は、ホテルを取り巻く大自然の山並みを彷彿(ほうふつ)とさせる。

客室は全104室で、そのうち4室はスイートルーム。ウェルネスエリアにはプールと三つのレストランが併設されている。かつて駅のコンコースだった場所は、ホテルのレセプションに生まれ変わった。

宿泊客のトマス・オヘア氏は、コンコースがレセプションに「上品に」生まれ変わったと絶賛した。

「客室も、バーやレストランも現代的なインテリアの心地よさを兼ね備えつつ、重厚感が鉄道の旅の歴史へと誘ってくれる」(オヘア氏)

オヘア氏が強いて挙げる難点は、プールの利用に1人15ユーロ(約2000円)の追加料金がかかる点だ。また息をのむ山間のロケーションは、気晴らしになるものが周囲にほとんど何もないことを意味する。

カンフランクステーションの歴史を記したディスプレーをもっと活用してもよかったのにとオヘア氏は言うが、この点に関してはスタッフも非常に博識だとも付け加えた。

第2の人生

廃墟時代のカンフランクには、幽霊屋敷の雰囲気をフィルムに収めようとする写真家が、プロアマ問わず詰めかけた。

新生カンフランクでは、こうした写真家も「見事に修復された姿をカメラで永遠に残しつつ、滞在やおいしい料理も堪能できるだろう」と請け負った。

一方サンチェス・モラレス市長は、ホテル全体に「駅の歴史や鉄道の名残」が感じられ、「大満足」だと語る。

「観光地として、カンフランクの基盤になると期待している」(サンチェス・モラレス市長)

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