ルネサンス時代から不変の街並み、イタリアの小都市ウルビーノ

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伊中部の小都市ウルビーノを取り巻く景観は15世紀以来ほとんど変わっていない/tamas/Adobe Stock
写真特集:ルネサンスのタイムカプセル、伊中部の小都市ウルビーノを訪ねる

伊中部の小都市ウルビーノを取り巻く景観は15世紀以来ほとんど変わっていない/tamas/Adobe Stock

(CNN) ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロとその妻バッティスタ・スフォルツァが、自分たちが支配する広大な風景の前で見つめ合っている「ウルビーノ公夫妻像」は、イタリア・フィレンツェにあるウフィツィ美術館で最も有名な絵画の一つだ。

イタリア・ルネサンス期の画家ピエロ・デラ・フランチェスカが1472年に描いたこの作品は、ルネサンスを象徴する芸術作品の一つでもある。しかし、ウフィツィ美術館を訪れる海外からの観光客の中で、画家にインスピレーションを与えたウルビーノを知る者はほとんどいない。

ルネサンスを代表する絵画の一つ、ピエロ・デラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻像」/Riccardo De Luca/AP
ルネサンスを代表する絵画の一つ、ピエロ・デラ・フランチェスカ作「ウルビーノ公夫妻像」/Riccardo De Luca/AP

ウルビーノは、イタリア中部マルケ州にある小さな学園都市だ。今この都市を訪れる旅行者はほとんどいないが、15世紀にはイタリア・ルネサンスの中心地だった。そしてこの地域を支配していたのがフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロだ。フェデリーコは、イタリアで最も文化的教養を備えた指導者の1人だった。

しかし、フェデリーコは常にそのように見られていたわけではなかった。伝えられているところによると、ウルビーノの前の統治者の非嫡出の息子として生まれたフェデリーコは、その後伝説の傭兵となり、自分に最も高い報酬を支払う者のために戦った。

しかし、異母兄が暗殺された(フェデリーコの差し金の可能性もある)のをきっかけに、フェデリーコはウルビーノ公に就任した。そして恐らく自分の過去についての疑惑を和らげるために、公領をフィレンツェと肩を並べる文化の中心地にする作業に着手した。フィレンツェはアペニン山脈を挟んでウルビーノの北西約200キロに位置する

フェデリーコの宮廷は、ピエロ・デラ・フランチェスカやサンドロ・ボッティチェリといった画家に絵画の制作を依頼しただけでなく、ラファエロや、ローマ教皇庁(バチカン)の建築家ドナト・ブラマンテを生んだ。フェデリーコの書斎は非常に重要だったため、現在はローマ教皇が所有している。また、この宮廷はルネサンス期の最も有名な書籍の1つの舞台にもなった。

この宮廷は非常に有名だったため、フェデリーコの死後も多くの人がウルビーノを訪れた。それから6世紀が経過した今日も、ウルビーノの景観はフェデリーコが死去した当時とほとんど変わっていない。

ルネサンス様式の柱廊の下に並ぶレトロなバー、車ではなく馬のために作られた急勾配(こうばい)の街路、さらに山腹のふちにはフェデリーコのために建てられた、優美なツインタワーを特徴とするドゥカーレ宮殿がそびえる。

ルネサンスに生きる

ウルビーノはその地理的条件のおかげで昔ながらの景観を損なうことがなかった/F.Poderi/Adobe Stock
ウルビーノはその地理的条件のおかげで昔ながらの景観を損なうことがなかった/F.Poderi/Adobe Stock

今日、ウルビーノに行くのは、フェデリーコの時代と比べてはるかに容易というわけではない。

イタリアでは珍しいが、ウルビーノには鉄道の駅がなく、最も近いペーザロの駅まで45分もかかる。 またフィレンツェから長距離バスや車で行く場合、アペニン山脈を越え、3つの異なる地域を通過する際にいくつものスイッチバック(ジグザグの道路)を通らなくてはならない。さらにアンコーナにある最寄りの空港まで90分、最も近い主要都市ボローニャも2時間以上かかる。

しかしそのおかげで、イタリアの他のルネサンス都市がモダンな周辺地区に飲み込まれ、マスツーリズムによって息が詰まっているのに対し、ウルビーノはありがたいほど当時の姿を保っている。

フェデリーコのドゥカーレ宮殿内にある国立マルケ美術館のルイージ・ガッロ館長は、ウルビーノは訪れるのが困難な場所にあるからこそ、歴史的中心地が完全な形で保存され、他の大都市で行われたような大規模な建築プロジェクトを回避できたと指摘する。

ウルビーノを世界遺産リストに登録したユネスコも、「(ウルビーノでは)ルネサンス時代の街並みが見事に保存されており(中略)18~19世紀にはさまざまな干渉があったが、ルネサンス期のレイアウトはほぼ完全に手付かずの状態で残っている」と評価している。

ラファエロとローマ

10代のラファエロが描いたとされる聖母子像のフレスコ画/Ivan Vdovin/Alamy
10代のラファエロが描いたとされる聖母子像のフレスコ画/Ivan Vdovin/Alamy

モンテフェルトロ家の宮廷は非常に多くの文化を生み出した。ピエロ・デラ・フランチェスカやパオロ・ウッチェロといった15世紀の人気画家や、(恐らく)当時新進気鋭の画家だったボッティチェリなど、多くの有名画家たちがフェデリーコに仕えるためにこの宮廷にやってきた。

建築家も複数抱え、このうちドナト・ブラマンテは盛期ルネサンスの建築様式をローマに持ち込んだとされる。

そしてラファエロの父として知られるジョヴァンニ・サンティもフェデリーコの宮廷画家の一人だった。

実際、ラファエロの生家は今でもウルビーノに存在する。ドゥカーレ宮殿から徒歩5分の距離にあり、一般公開されている。訪問者は、サンティが顔料を作るのに使った、色の染みの付いた石を見ることができる。また寝室には10代のラファエロが描いたとされる聖母子像のフレスコ画がある。

宮殿の内部

ドゥカーレ宮殿内にはイタリア初の公立図書館がある/eddygaleotti/Adobe Stock
ドゥカーレ宮殿内にはイタリア初の公立図書館がある/eddygaleotti/Adobe Stock

現在、ドゥカーレ宮殿は国立マルケ美術館となっており、イタリアで28番目に来館者数の多い美術館だ。館内に入ると、なぜもっと人気がないのか不思議に思うだろう。壁にはラファエロ、ジョヴァンニ・サンティ、ティツィアーノ、パオロ・ウッチェロ、ピエロ・デラ・フランチェスカの作品(その大半はフェデリーコの依頼で描かれた)が掛けられている。

またフィレンツェ出身の陶芸家デッラ・ロッビア兄弟の陶器や、もちろんボッティチェリがデザインしたドアもある。

また来館者は、2基ある塔のうちの1基に登り、複数の丘にかかる霧を眺めることができる。これこそまさにフェデリーコ自身が当時見ていただろう眺めであり、ウフィツィ美術館にある「ウルビーノ公夫妻像」に描かれている風景を彷彿(ほうふつ)させる景色だ。

永遠の遺産

ラファエロの生家からフェデリーコの宮殿まで、往時と全く変わらない姿の街路を歩いて行ける/e55evu/Adobe Stock
ラファエロの生家からフェデリーコの宮殿まで、往時と全く変わらない姿の街路を歩いて行ける/e55evu/Adobe Stock

フェデリーコの影響は何世紀にもわたり続いている。ウルビーノで学んだことをローマやミラノに持ち込んだ芸術家たちに加え、公共図書館の構想も実を結んだ。実際、フェデリーコの蔵書は非常に重要性が高かったため、モンテフェルトロ家が途絶えると、すぐにバチカン図書館に送られた。

マルケ美術館のガッロ館長にとって、フェデリーコこそ真にルネサンスを代表する人物だった。

「フェデリーコは、指導者の権力と人文主義者の文化を組み合わせたルネサンス期の理想的な君主であり、今日の政治家たちのお手本だ」とガッロ氏は言う。

「今でもルネサンス期と変わらないウルビーノの街並みを見れば、フェデリーコが15世紀の偉大な政治家だったことは明白だ」(ガッロ氏)

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