日本人シェフが自家薬籠中の物にした西洋のお菓子7選<上>
(CNN) 日本はすしからラーメンまで多彩でおいしい食事で長年国際的に有名であり、こうした定番料理は世界中のメニューに登場する。
しかし近年、ある別の料理分野の専門知識に関しても日本の評判が広まっている。ケーキやペストリーだ。日本のシェフは世界中で愛されるおなじみの「西洋」菓子を取り入れ、それを新たな高みに引き上げた。
和菓子と呼ばれる日本のスイーツとは異なり、欧米風の「洋菓子」は主に小麦粉と砂糖でつくられる。ただ、一般に日本の洋菓子は欧米のものに比べ甘さが控えめだ。
欧米で人気の古典的な洋菓子は数百年前に日本に伝わった後、アレンジを経て完成され、人々の間で広まった。大手菓子ブランドの一部はバンコクから台北に至るアジア各地の都市でチェーン展開している。
帝国ホテル東京のペストリーシェフ、赤羽目健悟氏は、日本は欧米の技術や組み合わせを取り入れつつ、現地の材料を使って季節の味を表現するのにたけていると語る。
赤羽目氏を含む日本代表チームは「ペストリーのW杯」とも呼ばれるクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーの今年の大会に参加し、銀メダルを獲得した。
古典的な手法を取り入れつつ新たなものを創造しようと試みることで、さらなる進化が見込めると、赤羽目氏は語る。
日本有数の歴史を持つお菓子ブランド、ユーハイムの河本英雄社長も、実験する自由があったおかげで、日本のシェフは次から次へとヒット商品を開発できたとの見方を示す。
新型コロナウイルスの流行前に日本が有力な旅行先だったことを踏まえると、新たな趣向のケーキが成功を収めれば、他のアジア諸国でもすぐさまトレンドになるだろう。
以下では日本人シェフが自家薬籠(やくろう)中の物としたケーキやデザートの一部を紹介する。
1.ストロベリーショートケーキ
日本のストロベリーショートケーキは、定番の冬のスイーツとしてアジア全域で人気を集めている。写真は香港のパン店のもの/Good Good
日本の最も象徴的な洋菓子のひとつに、昔ながらのストロベリーショートケーキがある。日本初の洋風ケーキ屋チェーン、不二家の創業者である藤井林右衛門氏が人気を広めたとの見方が多い。
藤井氏は1910年に横浜で菓子屋を設立した後、菓子づくりの技術や知識を磨くために渡米。そこで初めて口にしたストロベリーショートケーキと恋に落ちた。
1年後、藤井氏は日本に戻って自己流のケーキを生み出す。軽くふんわりした層状のスポンジケーキを滑らかなクリームで包み、上に砂糖漬けのイチゴを乗せるというものだった。
華やかな色合いのこのデザートは特別な機会に味わう豪華品と考えられていて、日本では今やクリスマスの代名詞だ。年末ともなると、ホテルやデパートの店舗、パン店がいっせいにストロベリーショートケーキを宣伝する。
2.バウムクーヘン
ユーハイムは最近、バウムクーヘン専用AIオーブンを開発した/Juchheim Group
バウムクーヘンは串のような回転する機器で焼き上げるドイツの丸いケーキで、金色の輪はさながら樹木の年輪を思わせる。
今でこそ平和と長寿、永遠の愛の象徴となっている日本のバウムクーヘンだが、そこには暗い始まりがあった。
言い伝えによると、ユーハイムの創業者カール・ユーハイムは中国の膠州市でケーキ店を開業した。当時、同市はドイツの租借地だった。
第1次世界大戦の勃発に伴い、ドイツ軍の兵卒だったユーハイムは妻とともに日本の収容所に送られた。収容所にいた1919年、日本初のバウムクーヘンを焼いて販売。終戦後も夫妻は日本にとどまり、22年に横浜に「E・ユーハイム」を開店した。
現在、ユーハイム・グループはアジア各地に店舗を展開し、バウムクーヘンは日本のデザートの定番メニューとなっている。
3.カステラ
文明堂は日本で最も有名なカステラのブランドの一つ/Bunmeido Tokyo
カステラの起源の物語では誤解と500年の交易史が絡み合っている。
1543年、嵐で船が流されたポルトガルの商人数人が記録に残る中で初めて日本に到着した。その後ポルトガル人は日本との間に交易関係を確立した。
宣教師とのやり取りの中で、小麦や砂糖、卵でつくられたシンプルなパンが「カスティーリャのパン」として長崎の人に紹介された。味をすっかり気に入った地元住民がこの説明を名称と誤解し、そのまま定着したとされる。
間もなく地元ではこのパンが「カステラ」として知られるようになり、日本中で人気のデザートになった。
現在では、カステラはチョコレート味から抹茶味に至るさまざまな風味でつくられている。表面がカラメル化した厚切りパウンドケーキは紅茶やコーヒーのお供にぴったりだ。
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次回「日本人シェフが自家薬籠中の物にした西洋のお菓子7選<下>」は12月25日に公開予定