ポンペイの住民、最期の状況が新たに判明 家具を使って寝室封鎖も逃げられず
(CNN) 西暦79年にベズビオ山の噴火に襲われた古代ローマの都市ポンペイで、子ども1人を含む4人が家具を使って寝室の扉を塞ぎ、噴火から身を守ろうとしていた証拠が発見された。
4月に学術誌に発表された報告書によれば、最終的にこの家屋が4人の最後の安息の地となった。
ベズビオ山は壊滅的な噴火の間、高温の致死的なガスと灰を空中に噴き出し、街の住民の大半をゆっくりと死に追い込んだ。その後、灰と軽石が街と住民を覆い、犠牲者の最後の瞬間を千年以上にわたり保存した。
今回の発見は、発掘チームが、家の中で発見された神話のフレスコ画にちなんで名づけられた「ヘレとフリクソスの家」を調査するなかで見つかった。
2018年から19年にかけて、家の表側の部屋については部分的な調査が行われていた。今回の発見を行った新たな研究チームが過去数年にわたり遺跡を再訪し、修復と一般公開の準備に向けて、建物の3分の1を露出させたという。ポンペイ考古学公園の責任者ガブリエル・ツフトリーゲル氏が明らかにした。
調査によって、この家は噴火当時、改装中だったことも明らかになった。研究者によれば、皮肉なことに、この家の名前の由来となったフレスコ画そのものが、家の中で起きた悲劇的な出来事と類似しているという。
時が止まった光景
発掘では、集水槽のあるアトリウムや、壁が豪華に装飾された宴会場、中央に雨水用の開口部がある部屋、寝室などが見つかった。
噴火の初期の段階では、火山からの破片が開口部を通して雨のように降り注ぎ、家の中にいた4人は寝室に逃げ込んで、寝具で部屋を塞いで身を守ったとみられる。
研究者によれば、火山灰などが降り続くなか、住民は寝具を扉から引き離して脱出を試みた可能性がある。
住民らの遺体は宴会場で見つかった。
研究によれば、ポンペイに最初に到着した火砕流もしくは上層階の一部の崩落によって、4人が死亡した可能性がある。

住民が扉に押し付けた寝具の型を石膏(せっこう)で採取した/Archaeological Park of Pompeii
こうした光景は、ポンペイの住民が避難しようとした際に直面した恐怖と苦悩を思い出させる多くの事例の一つに過ぎない。
「多くの人々が建物の小さな部屋に避難しようとしたとみられる。噴出する火山物質にさらされる屋外よりも安全で安心できると感じたからだ。昨年も『画家の家』の狭い玄関ホールに立てこもっていた犠牲者が数人見つかった。廊下の両端の扉を閉めることで自分たちが守られると信じ、願っていたに違いない」(ツフトリーゲル氏)
「ティアソスの家」では、若い男性と年配の女性が身を守るために小さな部屋の窓と扉を閉めたが、そのまま部屋に閉じ込められてしまった。
ツフトリーゲル氏によれば、噴火から数時間後には軽石が外につもり、逃げようとしたとしても逃げ道が塞がれてしまい、住民は閉じ込められてしまった。
同じような悲劇
今回4人の犠牲者が見つかった家の宴会場の中央の壁にはギリシャ神話に登場するフリクソスとその妹ヘレのフレスコ画が描かれていた。神話によれば、ヘレとフリクソスは憎むべき継母のイノから逃れるために金色の毛を持つ雄羊に乗って飛び立つ。しかし、ヘレは逃走中に海に落ちてしまう。落ちた海はヘレにちなんで「ヘレスポントス」と名付けられ、現在はダーダネルス海峡とも呼ばれる。
フレスコ画には、ヘレが助けを求めてフリクソスに手を伸ばす瞬間が描かれている。
ツフトリーゲル氏によれば、ポンペイの住民にとって、この古代の物語はもはや宗教的な価値は持っておらず、単なる装飾や地位の証明として機能していた可能性が高い。しかし、振り返ってみれば、この物語は噴火の際に家の中に閉じ込められた人々が直面した絶望的な瞬間を示しているともいえそうだ。

ヘレが助けを求めてフリクソスに手を伸ばす様子が描かれたフレスコ画/Archaeological Park of Pompeii
「おそらく、一家のほんの一部を代表するであろう人々の集団が、恐怖と悲劇に直面しながらも生き残りの希望にすがりついていたことがわかった。それは、家の名前の由来となったフレスコ画のなかのヘレとそっくりだ。兄にしがみつこうとするが無駄に終わってしまった」(ツフトリーゲル氏)
ツフトリーゲル氏は、発掘調査で見つかるものは全てが驚きであり、ポンペイではその驚きは断片や手がかりという形であらわれると指摘。それらは、非常に個人的な物語を語るだけではなく、人々の希望や願望とともに、喪失や災害の集団的な経験にも光を当てることがあるという。