米スパイ衛星からの写真で判明、ローマ帝国が砦を建設した真の目的とは

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1934年にアントワーヌ・ポワドバール神父が撮影した砦の航空写真の一部/Father Antoine Poidebard/Courtesy Jesse Casana/Antiquity Publications Ltd

1934年にアントワーヌ・ポワドバール神父が撮影した砦の航空写真の一部/Father Antoine Poidebard/Courtesy Jesse Casana/Antiquity Publications Ltd

しかし研究者らは、ポワドバール氏の調査報告書で示されていたのは、ローマの古代インフラのごく一部にすぎないことを発見した。ポワドバール氏が見落とし、衛星写真で明らかになったのは、この南北に配置された116の砦は、実は、東西に広く配置された396もの砦群のほんの一部ということだ。

同研究によると、この砦群が配置されていた範囲は約30万平方キロにもおよび、イラクを流れるチグリス川のほとりに位置するモースルから始まり、ニナワ州を経て、ハブール川とバリフ川の流域を横切り、ユーフラテス川の西の半乾燥地帯まで続き、さらにシリア西部、地中海に至るという。

古代ローマの安全のためのオアシス

考古学者らが衛星画像を改めて精査したところ、さらに106の砦らしき構造物を発見した。このことから、さらに調査を進めれば、さらに多くのローマ時代の砦が発見される可能性もある。科学者らは、その地域にある他のローマ時代の発掘現場のデータを基に、これらの砦は2~6世紀に建設されたと推定した。

ポワドバール氏が発見した、ローマ帝国の東部国境沿いに並ぶ砦は、軍事要塞(ようさい)のように見えたが、今回発見された新たな証拠は、これらの砦は敵の侵入を防ぐための壁ではなく、ローマの交通量の多い道路沿いに設置された安全と秩序を確保するためのオアシスであることを示している。

カサナ氏は、当時の世界の国境は、障壁ではなく、活発な文化交流が行われ、商品とアイデアが行き交う場所だったとし、このような視点は現代への教訓になるだろうと付け加えた。

カサナ氏は「考古学者として言えることは、これまで多くの古代国家が国境沿いに壁を築こうとしたが、ことごとく失敗に終わったということだ」とし、さらに次のように続けた。

「考古学が現代の談話に貢献できるとすれば、それは、人々を排除するための巨大な壁の建設は得策ではない、ということであって欲しい」

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