「マチュピチュ」は間違いだった? 歴史家が発見した本当の名は

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世界遺産としても知られる「マチュピチュ」だが、実は別の名前で呼ばれていた可能性があるとの研究結果が発表された/ERNESTO BENAVIDES/AFP/Getty Images

世界遺産としても知られる「マチュピチュ」だが、実は別の名前で呼ばれていた可能性があるとの研究結果が発表された/ERNESTO BENAVIDES/AFP/Getty Images

(CNN) 南米ペルーにある世界的に有名な遺跡を100年以上にわたって「マチュピチュ」と呼んでいたのは間違いだった――。そんな研究結果がアンデス研究の学術誌に発表された。

古代文明のインカは、この都市を「ワイナピチュ」と呼んでいたらしい。

米サザンユタ大学のエミリー・ディーン教授(今回の論文にはかかわっていない)によると、先住民ケチュアの言葉で「ワイナ(Huayna)」には「新しい、若い」の意味があり、「ピチュ(Picchu)」には「山頂」の意味がある。一方、「マチュ(Machu)」は「古い」を意味することから、これまでは同遺跡を「古い山頂」と呼んでいたことになる。

論文を発表したイリノイ大学のブライアン・バウアー教授によると、この都市はインカ帝国の首都だったクスコに住む王族の領地として、1420年ごろに建造されたと考えられている。

スペインからの入植者がインカ帝国を征服すると、ワイナピチュは放棄され、アンデス山脈の山奥に何百年もの間隠されていた。米国の探検家ハイラム・ビンガムが「再発見」したのは1911年だった。

ビンガムは、この地で農業を営んでいたガイドのメルチョー・アルテアガから提供された情報に基づき、この古代都市をマチュピチュと呼ぶことにした。

しかしマチュピチュを研究していたバウアー氏は、この都市がもともとは別の名称で呼ばれていた証拠を発見。ペルー文化省の歴史家ドナト・アマド・ゴンサレス氏も独自に同じパターンを発見し、共同で本当の名称を探ることにした。

2人はまず、ビンガムが残した記録を調べることから始めた。ビンガムは、最初に訪れた時はこの遺跡の名称は分からなかったと記していた。2人はそこから、ビンガムが訪れる前と訪れた後の地図などを調べた。

バウアー氏によると、特に驚いたのは1588年の記録で、ビルカバンバ地域の先週民がワイナピチュに戻ることを考えていると記されていた。

ディーン氏によれば、名称の間違いは驚くようなことではないという。非ペルー人考古学者の多くは、場所の名称の調査にそれほどの労力をかけず、ケチュア語もよく分かっていなかった。

「もっと言えば、今回の研究は、ハイラム・ビンガムがマチュピチュを発見したという定説に疑問を投げかけている」とディーン氏は指摘する。地元の住民は、ビンガムがやって来るずっと前からこの場所のことを知っていた。

もともとの名称が分かっても、この遺跡は今後もマチュピチュと呼ばれ続けるだろうとバウアー氏は予想、「マチュピチュは世界的に有名なので、名称の変更は提案しない」と言い添えた。

マチュピチュの名は、何千という書籍や記事、広告、書類などにも使われている。

この名称はペルーの国民や政府にも親しまれていることから、同地の歴史に新たな情報が加わったという点では興味深いものの、名称は変更されないだろうとディーン氏は予想した。

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