OPINION

私たちの社会生活にもワクチンを、コロナ禍の「隠者マインド」を乗り越えるために

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コロナ禍の収束に向け、外食や社交を楽しむ本来の習慣も取り戻す必要がある/LINDSEY PARNABY/AFP/AFP via Getty Images

コロナ禍の収束に向け、外食や社交を楽しむ本来の習慣も取り戻す必要がある/LINDSEY PARNABY/AFP/AFP via Getty Images

(CNN) 先日、友人からメールが届いた。彼女を含む3人とその晩、近場のカフェで夕食を取らないかという誘いだ。全員がワクチンを接種済みで、天候も申し分なかった。ところがどういうわけか、気が付くと私は躊躇(ちゅうちょ)していた。「後で連絡する」と返信し、携帯を置いて、ちょっと考える。いったいどうした? なぜこんなことを決めかねているのか?

確かにその時、ドラマ「クイーンズ・ギャンビット」のラスト2話を見るのを楽しみにしていた。残り物のピザと、口を開けてしまったワインのボトルも冷蔵庫で待機中だった。とはいえ本当にそのまま家にいて、友人と外出しない方を選ぶものだろうか? もうかれこれ丸1年、ネットフリックスの配信を部屋で1人視聴する以外何もしてこなかったこの私が?

ジーン・マーティネット氏/Barbra L. Weinstein
ジーン・マーティネット氏/Barbra L. Weinstein

今時であれば、誘いに対してこのように言葉を濁す行為は世間一般の人にとってそれほど珍しいものではないかもしれない。しかし私は元来、他人と交わるのが生きがいの人間だ。新型コロナウイルスの感染拡大以前、夜の外出は週5~6日のペースだった。大のディナーパーティー好きで、人と直接かかわる機会を作るのに余念がない。そんな私がもう何カ月も、ムームーにスリッパという格好で家にこもっている。本当なら、人との接触に完全に飢えているはずだ。そこで突然、恐ろしい考えに行き当たった。新型コロナが、私を内気な人間に変えてしまったのではないか?

こういった話は数多く聞いている。会う人会う人私に打ち明けるのは、いつの間にか外に出るのが億劫(おっくう)になっているという感覚だ。もう安全な状況であるにもかかわらず。近年、対面でのコミュニケーションの機会はすでに減少しつつあった。部分的にはインターネットとソーシャルメディアが要因だが、ウイルスの流行期に身に付いた種々の習慣により、状況はさらに悪化した。私たちの内面にいる隠遁(いんとん)者が、本人の心理状態を支配できるようになってしまったのだ。そしてもともと内向的だった人は、その性格を一段と強めていった。

世界的なウイルスの蔓延(まんえん)を好む人など誰もいないが、実際のところ他人と交わるのが苦手な人は家にとどまる口実ができたのを密かに喜んでいた。「こんなロックダウン(都市封鎖)くらい余裕でできる」、知り合いの一人は私にそう言い切った。「人付き合いしなくて済むのは実に都合がいい」とは、別の一人の弁。ある女性など、本当はワクチンを接種済みなのにもかかわらず打っていないと嘘(うそ)をついたと認めた。人と交わる不安にさらされたくなかったというのが理由だ。昨年のある研究によれば、社会的な不安を感じる人々の65.6%、またそうでない人々でも29.4%が、新型コロナのせいで社交の機会が減ってほっとしていると回答したという。

国内での党派的分断の激しさも、こうした傾向に拍車がかかる要因となっている。多くの人々がそろって大喜びしたのは、昨年の感謝祭で家族からの重圧に耐える必要がなかったことだった。感謝祭のディナーの席は政治的な話題が頭をもたげるのが常だが、このご時世ではどんな会話であれ面倒な対立へとつながるように思える。通りがかりの人がかわいいマスクをしているという話ですら、マスクやソーシャルディスタンスの必要性をめぐる口論へと発展しかねないのだ。

とはいえ、あらゆる(安全な)社会活動を回避するというのは、答えにならない。社会的な孤立とは歴史上、刑罰や拷問のために使われていた。人間には対面でのつながりが必要で、それは呼吸をするのに空気が必要なのと同様だ。ただちょうど身体運動がそうであるように、社交も意識的に鍛えなくてはならないものである。

何もしない時間が長ければ長いほど、状況は難しくなる。数カ月間走っていない人が、自分から走ってみようという気になるだろうか? 私たちの人付き合いの筋肉はもう極端に落ち、多くの人はその存在にすら気づいていない可能性がある。1年にわたるビデオ通話の習慣でコンピュータースキルにこそ磨きがかかったかもしれないが、その分会話のスキルは失われた。ビデオ会議システム「ズーム」で習慣化したやり取りは、会話というよりあくまでも会議や打ち合わせのものであり、その時々で発言できるのはたった1人に限られる。複数人が集まるグループチャットも、容易に身を引いて聞き役に回ることができてしまうので、人々の社交性はかえってさびつく一方となる。

私たちの多くにとって社会生活のコツを取り戻すのは、竜巻の後で避難していた地下室から出てくる感覚に近い気がする。新型コロナのほら穴から抜け出した私たちは、太陽の光に目をしばたたかせながら、漠然とした緊張感を抱え、気まずい思いをしている。出てきてしまって本当に大丈夫なのか? 同時に、舞台上で固まってしまうような不安にもさいなまれる。いったい人と話すことなんか見つかるのだろうか? この1年、ほとんど何もしていなかったことがばれたらどうしよう?

友人の一人、ビクトリアは勇気を奮い起こし、そんなことをしても無駄と告げてくる内なる声を抑えつけ、わざわざ車を運転して郊外から街中へ移動。旧友に会った。「結果として、その月の行動の中で最高のものになった。思いとどまる寸前だったのが信じられない。当時は家でやらなきゃならないことが多すぎるからと、納得しかけていた。でもそこで思い出した。自分はいつでも外へ出かけていくタイプだったって!」

私たちは、無意識に自らのロックダウンを引き延ばしたがる気質と戦わなくてはならない。人付き合いは、情緒的健康にとって必要だ。米紙ニューヨーク・タイムズの最近の評論で、アダム・グラント氏は広範囲にわたるパンデミック(世界的大流行)由来の不調を「うちしおれ」と言い表した。その意味は沈滞と虚無感、あるいは満足感の欠如となる。私に言わせれば、これには非常に簡単な治療法がある。とにかく友人と(知らない人とも)一緒に過ごすことだ。いつでも、可能な限り。

それなら私は冒頭の晩、ネットフリックスとピザをあきらめ、友人たちとのディナーを選んだのだろうか? 答えはイエスであり、ノーだ。結局のところ私たちはレストランでピザを注文し、全員が大好きな番組(「クイーンズ・ギャンビット」)について語り合ったのだから。

ジーン・マーティネット氏は、人付き合いや社会生活に関する著書がある作家。これまでニューヨーク・タイムズやボストン・グローブ、シカゴ・トリビューン、ワシントン・ポストなどに寄稿している。記事の内容は同氏個人の見解です。

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