氷河の後退で南極研究者の遺体発見、66年前に行方不明
(CNN) 66年前に南極の氷河のクレバスに転落した英国人研究者の遺体が回収された。英国南極観測局(BAS)が明らかにした。
当時25歳だったデニス・ベル氏は、1959年7月26日、南極半島の北に位置するサウス・シェトランド諸島の一つ、キング・ジョージ島のエコロジー氷河を登っている最中に氷の中に姿を消した。ベル氏は最初の転落(推定30メートル)を生き延びたものの、救出は失敗。その後行方不明となった。
BASによると今年1月、キング・ジョージ島のポーランド基地の調査チームが、氷河の後退に伴い露出した岩の間からベル氏の遺体と数百点の私物を発見した。
ポーランドの調査チームは2月に5日間にわたり大規模な考古学調査を実施。骨片や人工の遺物を発見した。中には、刻印のある腕時計、スウェーデン製のナイフ、無線機器、スキーのストックなどが含まれていた。
DNAサンプルは、ベル氏の存命のきょうだいであるデービッド・ベル氏とバレリー・ケリー氏のものと一致。2人はこの発見に驚いた。
デービッド氏はBASに対し、英国とポーランドのチームが「デニスを故郷に連れ帰ってくれた」として家族一同の感謝の意を表明。発見された遺物によって「素晴らしい弟の悲劇的な死に折り合いを付けることができた」と述べた。
「ティンク」の愛称で知られたベル氏は、英空軍でのキャリアを経た後、さらなる冒険を求めて、58年にBASの前身であるフォークランド諸島属領調査局(FIDS)に気象学者として加入した。

基地でクリスマスを祝う隊員たち/British Antarctic Survey/PA/Alamy/Sipa
「この発見は数十年にわたる謎に終止符を打ち、南極科学の歴史に刻まれた人間の物語を思い起こさせてくれる」と、BASのジェーン・フランシス局長は述べ、「胸が締め付けられる、深い意味を持つ瞬間だった」と言い添えた。
ベル氏は、年間9カ月間海氷が張るキングジョージ島のアドミラルティー湾にある英国基地に、わずか6人ほどの隊員と駐留していた。

南極半島の北に位置するキングジョージ島アドミラルティー湾にある英国基地=1951年/British Antarctic Survey/PA/Alamy/Sipa
59年7月26日、ベル氏と他の男性3人は犬ぞりに乗り、島の山頂にある氷河を登り、測量と地質調査を行った。ベル氏と測量士のジェフ・ストークス氏は他の組より約30分早く出発した。
雪は深く、犬たちは疲労の兆候を見せ始めていたため、ベル氏は犬たちを励ますために先を歩いたが、スキー板を履いていなかった。突然、ベル氏は氷の中に姿を消した。
BASのサー・ビビアン・フックス元長官の説明によると、ストークス氏は氷の穴に向かってベル氏に呼びかけ、ベル氏の返事を聞いて「大いに安心した」という。この説明はアントニー・ネルソン氏の著書「Of Ice and Men」の中に記されている。
フックス氏の回想によると、ストークス氏はロープを穴の奥約30メートルまで下ろし、ベル氏に体をロープに絡ませるよう指示。犬ぞりに結びつけて引き上げようとしたが、不運にも失敗に終わったという。
「ベル氏はクレバスに横たわっていた角度のせいか、ロープを体に巻き付けるのではなくベルトに通していた。最上部に到達したベル氏の体はクレバスの縁にぶつかり、ベルトが切れて再び落下した」とフックス氏は語った。
ベル氏はその後、友人の呼びかけに応じなかった。
ストークス氏は現場に目印を残し、他の隊員たちを探すため氷河を下り始めた。12時間後、天候が悪化する中、彼らはようやく現場に戻ったが、ベル氏を救助する方法はないと判断した。

デニス・ベル氏の遺体が見つかったエコロジー氷河の風景を捉えた写真/Henryk Arctowski Polish Antarctic Station/PA/Alamy/Sipa
BASのフランシス局長は「デニスは、非常に過酷な状況下で南極の初期の科学研究と探検に貢献した多くの勇敢なFIDS隊員の一人だった」と語った。
「彼は1959年に行方不明になったが、彼の記憶は同僚たちの間で、そして極地研究の遺産の中で生き続けた」(フランシス氏)
ベル氏の遺体はポーランドの調査隊によって回収された後、英国の南極圏研究船サー・デービッド・アッテンボロー号でフォークランド諸島へ運ばれた。そこで英国南極地域の検死官に引き渡され、ロンドンへ移送された。