欧州戦勝80年、元米兵が振り返るナチス降伏の瞬間
(CNN) フランス北東部のランスにある赤煉瓦(れんが)の小さな校舎の一室。80年前、ドイツの将校らはこの部屋で欧州における第2次世界大戦の終結に合意した。
当時その場にいた元米兵、ルチアーノ・「ルイス」・グラジアーノさんは、ナチスドイツが連合国に降伏する歴史的瞬間を目の当たりにした。現場にいた人々の中で、存命なのはグラジアーノさんのみと考えられている。
8日は欧州戦勝記念日(VEデー)とされているが、グラジアーノさんに特別な計画はない。今は毎日が特別だからだという。

欧州での第2次大戦終結をランスで目撃した元米兵、ルイス・グラジアーノさん/CNN
当年102歳のグラジアーノさんだが、あの日に見たものは鮮明に記憶している。ドイツが降伏文書に署名するのかどうか、その時点では不透明だった。
.グラジアーノさんはCNNの取材に答え、「多くが真剣な面持ちを浮かべていた」「ドイツ人たちはテーブルに着いていた。英国人やフランス人、その他の将校も全員そこにいた」と述べた。
不在だったのは米国のアイゼンハワー将軍だ。当該の校舎を連合国遠征軍最高司令部として使用していたのが、このアイゼンハワーだった。
「彼(アイゼンハワー)は部屋にいなかった。いることを望まなかった。彼ら(ドイツ)が降伏文書に署名しない場合を考えてのことだ」。第2次大戦を戦った退役軍人を示す文言の入ったベースボールキャップをかぶり、グラジアーノさんはそう語った。
それでもアイゼンハワーは、敗れた将校たちとの面会を希望した。そこで若いグラジアーノさんがドイツ将校らをアイゼンハワーのもとへ連れて行った。
グラジアーノさんによれば、アイゼンハワーが将校らと握手することはなかった。将校らが気をつけの姿勢を取ると、アイゼンハワーは彼らに退出を促したという。

ドイツの降伏を受けて行進する米軍兵士、米婦人陸軍部隊隊員と、沿道で拍手を送るランスの市民/US Army
ニューヨーク州イーストオーロラのイタリア移民の家に生まれたグラジアーノさんは、5人きょうだいの末っ子だった。学校を中途退学し、石工として働きながら家計を助けた。母親や姉妹、兄弟がヘアスタイリストをしていたので、自分もその道に進むと決めていたが、20歳の誕生日を数週間後に控えた1943年、陸軍に招集された。
フォートディックスなど米国内の様々な基地での訓練を終えると、グラジアーノさんは客船のクイーン・メリーに乗せられ、英イングランドに送られた。航海中、一晩二段ベッドで眠ったが、それからはデッキで救命胴衣を着て寝るのを選んだ。船室が窮屈すぎたからだ。攻撃を受けたときにはデッキの方が助かる可能性が高いとも感じていた。
イングランドで施設の運営をしながら数カ月過ごした後、グラジアーノさんはノルマンディー上陸作戦に参加した。「トラックで海岸に乗り上げ、崖下に近づいた」「ドイツ軍が我々のいる崖下へ発砲してきた。私は火炎放射器を取り出して、上方へ向けて放った。(中略)そして機関銃を排除した」
フランスでは、米国が専有した建物の監督に携わった。その中に例の赤煉瓦の小さな校舎もあった。
米婦人陸軍部隊の軍曹だった将来の妻と出会ったのもランスだ。2人は現地で結婚し、ドイツが降伏した後、パリへ新婚旅行に出かけた。最終的に米ジョージア州トムソンへ移り、そこで家庭を築いた。

米軍内で知り合い、結婚したグラジアーノさんと妻のボビーさん。ドイツが降伏した後、パリへ新婚旅行に出かけた/Courtesy Graziano family
終戦後の数十年間、グラジアーノさんがフランスを再訪したことは一度もない。現地へ行くようにと何度も声が掛かったが、渡航は考えていないという。
VEデーもただ普段通りに過ごすつもりだが、実際にはグラジアーノさんの話を聞きたい各国メディアとのインタビューが立て続けに入っている。
この日に外出の予定はない。欧州で戦争の終結を目の当たりにしながら、思いは米国にあった男にとって、それがふさわしい過ごし方だ。
「あの部屋にいられたのはよかった」。ドイツ降伏の場面について、グラジアーノさんはそう振り返る。「もうすぐ家に帰れることが分かったから」