ロシア軍受刑者部隊「ストームZ」、貴重な証言が浮き彫りにする過酷な戦場

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ロシア軍の受刑者部隊に参加、過酷な戦場を振り返る

(CNN) 戦闘員の一人は2度にわたり撃たれたものの、搬送先の病院から前線に送り返され、雪解け水を飲んで生き延びた。ウクライナの陣地への突撃を繰り返し強制された末、りゅう弾で視力を一時喪失。塹壕(ざんごう)の中から医師によって救出され、病院の用務員として雇われた。

もう一人の戦闘員は20歳の時に軽微な薬物犯罪で収監され、23歳で前線に送られた。ほぼ何の訓練も受けていなかった彼は3週間後に死亡した。ロシアのプーチン大統領が赤の広場で対ナチス戦勝記念日を祝っていたまさにその日、彼を含む60人が突撃中に死亡したとみられる。

一命を取り留めた兵士と、早すぎる死を遂げた兵士。2人の物語はロシアの塹壕の中で無残に命が失われていく状況の縮図といえるが、そこには一つの特徴がある。死亡したのは受刑者で、ロシア国防省の運用する「ストームZ部隊」に加われば残りの刑期を猶予すると約束された者たちだったのだ。

生き残るには環境自体が過酷であり、長生きは見込めない。受刑者らは「大砲の餌」として使われた経験を証言する。これまでに数万人の受刑者が前線投入のために採用された。民間軍事会社ワグネルが始めたやり方だが、国防省もこの方式を引き継いだ。

CNNは今回、20歳の時に薬物関連罪で収監され、ロシア軍に採用されて前線に送られたアンドレイさんの母親から話を聞いた。母親は息子の証言や、動員3週間後の早すぎる死を裏付ける大量の動画や文書、チャットメッセージを提供してくれた。

ストームZ部隊の数少ない生き残りであるセルゲイさんにもインタビューした。数カ月前に軍病院で初めて電話インタビューを受けたセルゲイさんは先週、塹壕内の過酷で劣悪な生活を振り返った。

こうした悲惨な戦闘環境についてはよく知られているが、ロシア側の証言の大半は戦争捕虜からウクライナの世話人を通じて伝えられたものだ。今回の2人の話は、ロシア人の口から直接語られた貴重な証言となる。CNNはインタビューを受けた人の身の安全を考慮して名前を変更し、鍵となる詳細を割愛している。

セルゲイさんは家族を養うため二つの仕事を掛け持ちしているが、今も負傷に対する軍の補償を待ち続けている。夜には砲弾ショックによる耳鳴りにさいなまれ、静まり返った自宅でなかなか眠れない時間を過ごす。

8カ月の従軍期間中、セルゲイさんは付近に着弾した砲弾により、9回にわたって脳振盪(しんとう)を経験した。昨年冬には脚を撃たれ、10日間の治療を経て前線に送り返された。その後、今度は肩を撃たれ正式に入院。2カ月後、人員不足のため再び前線に派遣されたセルゲイさんは、手足を失った受刑者が無線任務を与えられたり、兵士らが身を守る役に立たない防弾チョッキを捨てたりする光景を目の当たりにした。

日常の恐怖

損耗率は想像しがたいほど高い水準にある。セルゲイさんによると、昨年10月に採用された受刑者600人の部隊のうち、今も生きているのは170人のみ。負傷していない者は2人にとどまる。「全員が負傷した。2~3回、中には4回負傷した者もいる」という。付近に砲弾が着弾して同僚がばらばらになるのを目の当たりしたこともあり、生き残ったこと自体が驚きだと振り返る。特に鮮明に記憶に残っているのが、ある突撃の光景だ。

「最後の9回目の脳振盪のことは最もはっきり覚えている」「我々が攻撃すると、ロケット推進式擲弾(RPG)やドローンが飛んできた。指揮官からは無線で『構わない。行け。陣地を奪取するまで帰ってくるな』と言われた。我々のうち2人は小さなタコつぼを見つけ、そこに飛び込んだ」

だが、試練はそこで終わらなかった。「(ウクライナの)ドローンから榴弾が投下され、我々2人の間にあった30センチの隙間に着弾した。友人は全身に破片を浴びたが、私はどういうわけか直撃を免れた。ただ、5時間のあいだ目が見えず、目の前に白いベールがかかった状態だった。仲間が私の手を取って避難させてくれた」

セルゲイさんがやっとの思いで医師を見つけると、その医師が窮状を哀れんで病院の用務員の仕事を与えてくれた。遺体の搬送や身元確認書類の有無のチェック、清掃を担っていたが、先月に契約満了を迎えた。

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