解放から1年余のヘルソン、帰還した住民にロシア軍迫る ウクライナ南部

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ウクライナ侵攻から2年、傷ついたヘルソンの街並み

(CNN) ウクライナ南部ヘルソン。通りには割れたガラスが散乱し、地平線の上には絶え間ない砲撃の嵐が見える。まるで遠隔占領されているような感覚に襲われる。

2年前、クリミア半島からロシア軍が侵入したのに伴い、ヘルソンはウクライナの主要都市で初めて陥落した。ウクライナ軍によって解放されたのは9カ月後だった。

だが戦争が3年目に入る中、住民の間では、ドニプロ川を挟んで1マイル未満の距離にいるロシア軍からの砲撃は過去最悪規模だとの声が漏れる。

ドローン(無人機)や大砲はかなりの頻度でヘルソンを襲っており、ロシア軍はウクライナ軍ほど弾薬不足に悩まされていないことがうかがえる。

ウクライナ軍とロシア軍の間には凍結したドニプロ川が横たわっているが、その河岸にも新しく掘ったばかりの塹壕(ざんごう)が並ぶ。

川向こうには肉眼で見える位置にロシア軍がいて、ほぼ絶え間なく砲撃を浴びせてくる/Anna-Maja Rappard/CNN
川向こうには肉眼で見える位置にロシア軍がいて、ほぼ絶え間なく砲撃を浴びせてくる/Anna-Maja Rappard/CNN

一部の爆風は小村クリンキ付近で続く戦闘から来ている可能性もある。ロシアのショイグ国防相が20日、実質的に村を制圧したとプーチン大統領に報告したことで、小さな村ながらクリンキは重要性を帯びることになった。

一方、ウクライナ側はこの主張を強く否定。ゼレンスキー大統領は22日、ロシアは「偽情報作戦を行うことしかできない」と指摘した。

ウクライナ軍が公開したドローン映像には、クリンキに旗を掲げたロシア兵が直後に逃走しているとみられる姿が写っている。

ただ、クリンキを巡る対立や衝突で、ヘルソンでは悲観の色が深まっている。修理業者は冗談交じりに、窓1万枚を板張りにした節目を祝ったと語った。ガラス窓が残る建物は市内にほとんど見当たらない。

2022年にヘルソンが解放されて以降、数千棟の建物が損傷した/Anna-Maja Rappard/CNN
2022年にヘルソンが解放されて以降、数千棟の建物が損傷した/Anna-Maja Rappard/CNN

CNNは、にぎやかに繁栄していたヘルソンの街が開戦から72時間の間に陥落するのを目の当たりにした。ロシア軍が奪取した州都はヘルソンのみだった。

それから2年にわたり砲撃戦が続き、市内に残る通りには不気味な雰囲気が漂う。

20日午前4時、フリゴリさん(名字は非公開を希望)の自宅付近に砲弾3発が着弾した。付近の病院が攻撃目標だったとみられる。

昨年11月にも自宅が攻撃を受けていたことが幸いし、フリゴリさんと妻は一命を取り留めた。

夫婦の寝室は昨年の攻撃で砲弾の破片だらけになり、2人は同居する母親の居住区画に近い別の部屋に移り住んでいた。20日の朝、砲弾の破片は空っぽになった以前の寝室を再び切り裂いた。

ほぼ絶え間ない砲撃によって、ヘルソンはゴーストタウンと化した/CNN
ほぼ絶え間ない砲撃によって、ヘルソンはゴーストタウンと化した/CNN

「ベッドから飛び降りて隠れた」とフリゴリさん。「(ロシア軍は)私たちをヘルソンから追い払い、街を壊滅させたいだけだ」と話す。

砲撃に決まったパターンはない。時には市中心部、時にはドニプロ川に突き出た半島部分を襲う。

市当局者によると、この1週間だけで民間人3人が砲撃の犠牲になった。17日には屋根を整えていた39歳の男性が砲弾の破片で亡くなり、15日には公園で67歳の女性が死亡した。8日前には遊び場が攻撃を受け、19歳の少年が死亡、14歳の少女が負傷した。

市中心部のすぐ外に位置する半島は荒涼として人けがない。半島内の低層住宅や工業地域は橋1本で他の市内から隔てられ、川を挟んだロシア軍の陣地から肉眼で見える。住民によると、元々この地域に住んでいた住民3万人のうち、今も残っているのは1000人に過ぎないという。

その大半は高齢者で、約50人が集合住宅の地下に集まって即席でミサを挙げ、温かい食事を取っていた。地下の調理場にある小さな窓には土嚢(のう)が積まれている。ボランティアのテティアナさんは砲撃について「どういうわけか慣れてしまい、適応した。時には夜の2時か3時まで寝付けないこともある」と語った。

激動の2年を経た今、多くの人にとって礼拝は仲間と会える貴重なひとときだ。匿名希望の女性は「ひとりで暮らしている」「それが私の人生。寂しさには慣れているし、気にならない」と語った。

賛美歌を歌う前には、聖職者が中心となって生活必需品を求める祈りを唱えた。「私たちは暖を取り、パンを見つけ、食事を取ろうと努めた。私たちが集まったのは、この厳しい時期を一緒に乗り越えるため」「誰にとっても厳しい道のりだが、我々は歩き続ける」

高齢者をはじめとするヘルソン住民にとっては、地下の調理場で提供される寄付食品が頼りだ/Anna-Maja Rappard/CNN
高齢者をはじめとするヘルソン住民にとっては、地下の調理場で提供される寄付食品が頼りだ/Anna-Maja Rappard/CNN

だが78歳のソフィアさんにとって、歩くことは困難を極める。7人きょうだいで唯一生き残ったソフィアさんは歩行器を押しながら施しの温かい食事に近づき、手に取ると、成人した娘のために箱にしまった。娘を養っているのはソフィアさんの誇りだ。支援センターの利用者たちは明るい日差しに照らされた中庭に散り、ぽつぽつ点在する壊れた自宅に戻った。

ソフィアさんはヘルソンを離れるという案を一蹴する。両脚は最近車にひかれて負傷したといい、歩行器を使って苦労しながら中庭を横切った。

「私はただこの戦争が終わってほしいだけ」とソフィアさん。その言葉は遠くの爆音にさえぎられた。「恋しいものがあるとすれば太陽」。そう言って荒廃した庭を見回すと、「以前はそこら中にバラがあったのに」と漏らした。

ヘルソン市内を歩くソフィアさん/CNN
ヘルソン市内を歩くソフィアさん/CNN

ニュースは旧ソ連時代のラジオからしか入ってこず、通信状態の良い時はめったにない。21日にはドニプロ川対岸のクリンキを巡る対立の報道が流れてきた。「あいつらは飛びかかってきた」。ソフィアさんがロシア人についてそう話すと、娘はもうクリンキは制圧されたという話だと応じた。

「いや、まだ制圧されていない」。母親が言い返す。「ついさっき聞いた。まだ制圧されていない。大変なことになっている。今日も1回攻撃があった。クリンキに何が残っているのだろう。ただの普通の村だったのに」

3年目の戦争が傷ついたヘルソンをゆっくりとのみ込む中、普通の日常はほとんど残されていない。戦禍を免れた日常も。

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