元シリア難民の男性、ドイツの首長選で勝利 内戦逃れ欧州に漂着

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独バーデン・ビュルテンベルク州オステルスハイムの次期市長に選出されたリヤン・アルシェブル氏/Lukas Barth/Reuters

独バーデン・ビュルテンベルク州オステルスハイムの次期市長に選出されたリヤン・アルシェブル氏/Lukas Barth/Reuters

(CNN) シリア難民として2015年にドイツにたどり着いた男性が、南西部バーデン・ビュルテンベルク州で行われた首長選で勝利を果たした。

同州オステルスハイムの次期市長に選出されたのは、シリア・アススワイダ出身のリヤン・アルシェブル氏(29)。市長選に無所属で立候補し、2日に行われた投票で55.41%の票を獲得、ドイツ人の2人の候補を破った。

現地の放送局SWRは3日、アルシェブル氏が勝利を宣言すると、地元住民から歓声が巻き起こったと伝えた。本人はこの勝利を「センセーショナル」と形容している。

公共放送のZDFは「オステルスハイムが心の広さと国際性の実例をドイツ全土に示した」「保守的な地方で当然と受け止められることではない」と伝えた。

勝利を果たしたアルシェブル氏がまず最初に電話したのはシリアにいる母親だった。母親は感極まった様子だったという。

バーデン・ビュルテンベルク州の首長団体によると、シリア出身で首長選に立候補して勝利したのはアルシェブル氏が初めて。市長には6月に就任する。

SWRは「おとぎ話が現実になった。ふさわしい男性が市長になる」と歓迎する住民の言葉を伝えている。

対立候補の1人はアルシェブル氏に祝意を伝え、「幸運を祈ると同時に、我々のオステルスハイムのためにアルシェブル氏を支持してほしい」とフェイスブックで呼びかけた。

ただ、誰もが歓迎していたわけではない。選挙戦ではアルシェブル氏に対して憎しみに満ちたコメントも浴びせられたとZDFは伝えている。

陣営のウェブサイトによると、アルシェブル氏はシリアで学校教員と農業技術者の両親の間に生まれ、20歳になるまでは気楽な生活を送っていたという。

しかし11年に反政府デモが始まると、シリアは間もなく内戦の混乱状態に陥った。この戦闘と、後に台頭した過激派組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)のために、内戦前のシリア人口の約半分に当たる1060万人が15年末までに避難を強いられた。

アルシェブル氏はシリア軍に招集されるか、国外に逃れるかの選択を迫られた。

シリア人の多くが国内で避難したり国外へ脱出したりする中で、アルシェブル氏のように危険な航海を経て欧州へたどり着いた人も多かった。当時21歳だったアルシェブル氏は、ゴムボートでトルコからギリシャのレスボス島に渡ったという。

当時のドイツ首相だったアンゲラ・メルケル氏は15年、一時的な開放政策を打ち出し、その後数年でおよそ120万人の難民を受け入れた。アルシェブル氏もその1人だった。

しかしその反動で、15年夏以降、移民に反対する極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が台頭した。

アルシェブル氏はオステルスハイム近郊に落ち着き、「自分にできることはただ一つ。早く立ち直って自分自身の未来のために投資を始めること」と思いを新たにしていた。

過去7年間は隣のアルテンクシュテットで職員として勤務。選挙戦では自身の経験をもとに、公共行政サービスをデジタルで利用できるようにすることを優先公約の一つとして掲げたほか、柔軟な保育や気候変動対策も打ち出した。

アルシェブル氏は緑の党の党員で、現在はドイツ市民権を取得し、市長に選出されればオステルスハイムに転居すると公約していた。

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