今も続く先住民の苦難、女王哀悼が見せつけたオーストラリアの傷跡

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チャールズ新国王の即位宣言式に出席したアルバニージー首相=11日、キャンベラ/Mick Tsikas/Getty Images

チャールズ新国王の即位宣言式に出席したアルバニージー首相=11日、キャンベラ/Mick Tsikas/Getty Images

しかし首相が共和制移行推進に二の足を踏んでいるのは、女王哀悼だけが理由ではない。労働党党首のアルバニージー首相は選挙を前に、もし自分が勝利すれば、先住民を憲法で承認することの是非を問う国民投票を、3年間の任期中に実施すると公約していた。

憲法改正のためには国民投票や大半の州の住民投票で過半数の支持を獲得する必要がある。しかし1901年以来44回行われた国民投票で、憲法改正が承認されたのは8回にとどまる。

99年の国民投票では、女王と総督を大統領に置き換える案が否決された。

先住民の権利を求める抗議デモ=1971年、メルボルン/Fairfax Media/Getty Images
先住民の権利を求める抗議デモ=1971年、メルボルン/Fairfax Media/Getty Images

オーストラリア先住民の女王に対する感情はさまざまだ。

オーストラリア国立大学でファースト・ネーションズ副代表を務めるピーター・ユー氏はかつて、代表団とともにバッキンガム宮殿でエリザベス女王と面会し、オーストラリア政府や英政府以上に女王から温かいもてなしを受けたと振り返る。

「植民地化の結果として、我々の苦しみは今も続いている。しかし我々は女王個人の責任を追及しているわけではない。責任を問うべきはオーストラリア政府だ。意図的に義務を怠ったオーストラリア政府に、私は憤りを感じる」(ユー氏)

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