ロシア占領地から脱出の住民、嫌がらせや砲撃の被害 ミーアキャットも受難

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ユリア・ボンダレンコさんは犬や猫、ミーアキャットとともに避難した/Courtesy Yulia Bondarenko

ユリア・ボンダレンコさんは犬や猫、ミーアキャットとともに避難した/Courtesy Yulia Bondarenko

(CNN) ロシア軍に占領されたウクライナ南部のヘルソンから、毎日、何百人、何千人もの住民が、車やトラクターにあらゆる所持品を詰め込んで、脱出を試みている。

そうした住民は毎日のようにロシア軍から嫌がらせを受ける。砲撃に巻き込まれることもある。

脱出の理由はさまざまだ。ロシア軍による拘束や威圧から逃れるため、医薬品などの必需品が不足しているため。

先週は、1000台あまりの車列がヘルソンを離れようとした。ロシア軍はこの車列をほぼ一日中、1カ所に立ち往生させた後、ようやく何度かに分けて通過させた。

アルカディさんは、この日脱出を試みた約5000人のうちの1人だった。

過去に占領軍に拘束されたことがあるというアルカディさんは「私が占領地からの脱出を試みたのはこれが5回目だった。それまでの4回はうまくいかなかった」とCNNに打ち明けた。

アルカディさんによると、ドニプロ川に面したベリスラウの町に集まった車列は1.6キロを超えていた。そこで一夜を明かし、5月12日に出発を許された。

「驚いたことに、ロシア軍は私たちを検査することなくチェックポイントを通過させた」。アルカディさんはそれまでに、徹底的に検査されてスマートフォンを調べられたり、所持品を盗まれたりするという話を聞かされていた。

同じ車列にいたユリア・ボンダレンコさんも、ロシア軍に所持品を奪われることは予想していた。「避難する人たちはテレグラムのチャットでそれを知り、貴重品は持っていかなかった」

「ロシア人はほぼ必ずたばことライターを要求する」とボンダレンコさん。充電器やメモリーカードなどの電子機器を没収されることもある。スマートフォンは一般的には取り上げられないものの、メッセージや写真などの内容を綿密に検査されるという。

ロシア兵に服を脱がされ、愛国主義を象徴するタトゥーを調べられるという話も聞かされたとボンダレンコさんは言う。そのことは誰もが認識していて、愛国主義のタトゥーを入れている人は危険を冒して脱出しようとはしないという。

アルカディさんによると、ベリスラウを出発した車列は200台あまり。定員の2倍を乗せたミニバスもあった。

車列は平原を進み、ロシアの最後の検問所を通過。その直後に砲撃を受けた。

砲弾2発が同時に着弾し、アルカディさんの前の車は銃弾を浴びてタイヤが吹き飛び、窓が粉々になった。車7~8台が激しく損傷したが、道路沿いの樹木が多少、衝撃を吸収してくれた。

「誰もがすぐ車の陰に隠れた。みんながおびえていた。子どもを抱いた人もいた。子どもたちは泣き叫び、男性でさえも動揺していた」(アルカディさん)

ボンダレンコさんも、ロシアの最後の検問を通過した直後、みんなが逃げ惑い始めたと振り返る。「でも私たちは車内にとどまった。たくさんの動物を連れていて、一度に連れて降りることができなかった」

ボンダレンコさんの一行は、犬や猫、それに砲撃されたヘルソンの動物園から救い出した2匹のミーアキャットを連れていた。

砲撃がやむと、車列は先を急いだ。破壊された車に乗っていた人たちは、無事だった車に拾われた。

どこからの砲撃だったのかは、今も分かっていない。地元当局者は12日、ロシア軍の砲弾が車列に向けて発射され、2人が破片で負傷したと語った。

ヘルソンから脱出する際に恐ろしい目に遭ったという人はほかにもいる。夫と3歳の娘とともにオレスキの町で暮らしていたカテリーナ・トルグノワさんは、脱出した日のことを振り返ってこう語る。「最初の2つの検問所は比較的穏やかに通過したが、3つ目の検問所で大きな問題が起きた。私たちが近づくと、ロシア軍が閃光(せんこう)弾を空中に向けて発射し始めた」

「私たちは車から引きずり出され、暴言を浴びせられた。夫は長時間の捜索を受けた」(トルグノワさん)

ヘルソンからの脱出ルートを探そうとして道路上で2日間過ごしたという人もいる。

ユリア・カルトゥゾワさんは、脱出ルートを探しながら2人の子どもと共に幼稚園で一夜を明かした。

その後、ロシアとウクライナの支配地の間にある無人地帯に差し掛かった。

「戦闘が続いていた。私たちの車から100メートルの地点に砲弾が落下してとても危険だった。通過しなければならなかった検問所は数えきれない。全部で100を超えていたはず」(カルトゥゾワさん)

ヘルソンからミコライウに通じる主要道は損壊が激しく、通行できない場所もあった。この道路で激しい戦闘があり、車15台が砲撃されたという話も聞かされた。

カルトゥゾワさんと子どもたちは、南部の港湾都市オデーサに到着。地下に身を寄せていたところ、9日に巡航ミサイルがオデーサを襲った。

「この爆撃の間、私はメッセージを送る相手を見つけようとした。ミコライウの人たちが応えてくれ、私を支えてくれた」とカルトゥゾワさん。その数時間後、ミコライウが砲撃された。今度はカルトゥゾワさんが応答し、ミコライウの人たちを支えた。

誰もが避難先で落ち着いたわけではない。トルグノワさんと夫はオレスキに戻った。「あそこには家があるから、夫は手入れをするために戻った」とトルグノワさんは話す。

一方、ミーアキャットはキーウ(キエフ)で新しい暮らしを始めている。

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