パンナム:世界の空の旅を変えた国際航空のパイオニア

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米国へ向かうため機内に乗り込むビートルズのメンバー=1964年2月13日、英ロンドン/Stan Meagher/Express/Hulton Archive/Getty Images

米国へ向かうため機内に乗り込むビートルズのメンバー=1964年2月13日、英ロンドン/Stan Meagher/Express/Hulton Archive/Getty Images

90年代後半に少々変わった出来事があった。米国のある鉄道会社がパンナムブランドの使用権を購入したのだ。この鉄道会社は2006年に「パンナム鉄道」という社名で米国北東部の州で事業を開始し、ロイヤルブルーの同社の車両にはパンナムの社名とロゴが付された。

パンナムブランドの使用権は現在、パンアメリカン航空ライセンシング・プログラムが保有し、パートナー企業と連携して新たなパンナム製品を開発している。

オライリー氏は「企業が消滅した後もライセンス資産として復活できるブランドは非常に限られており、パンナムほど影響力が持続するブランドはほとんど存在しない。華やかなイメージのあるパンナムだからこそそれが可能になった。そしてパンナムは、自社のロゴのライセンス供与で稼げることも分かっていた」と言う。

世界的アイコン

パンナムは1927年に事業を開始し、最初はフロリダ州キーウェストとキューバのハバナを結ぶ旅客便と航空郵便から始めた。

民間航空の先駆者ファン・トリップの指揮の下、パンナムはボーイング314をはじめとする「クリッパー」と呼ばれる数多くの旅客輸送用飛行艇で急成長を遂げた。

第2次世界大戦中も事業を継続し、世界中で米政府の後方支援を行った。

戦後は、米民間航空委員会(CAB)が米国の航空業界を厳しく規制し、航空路の割り当てや航空運賃の管理・監督を行った。

ハーテフェルト氏によると、トリップはパンナムの国際的成長に注力し、「悪魔と取引をした」という。トリップはCABとの取引に応じ、パンナムが「米国政府のお墨付きの国際線」となる代わりに、米国内線は追求しないことに合意した。

この取引が、数年後にあだとなって返ってくるのだが、パンナムは50年代に外国での航空インフラ構築の腕を磨き、自社のためだけでなく、他の航空会社にも技術的な専門知識を提供した。

パンナム歴史財団のダグ・ミラー氏は「パンナムは洞察力と能力を兼ね備えていたが、米政府とも決して表ざたにならない方法で緊密に協力していた」と指摘する。

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