Fashion

メットガラを沸かせたダイアナ元妃、ひそかに改変されたきわどいドレスを振り返る

1996年のメットガラでジョン・ガリアーノ氏(一番左)デザインのドレスで登場したダイアナ元妃(中央)

1996年のメットガラでジョン・ガリアーノ氏(一番左)デザインのドレスで登場したダイアナ元妃(中央)/Stephane Cardinale/Corbis/Sygma/Getty Images

(CNN) ダイアナ元妃は1990年代で最も影響力のあるスタイルアイコンだった。そして、メットガラは今日と同様、当時もファッション界最大級の祭典だった。ダイアナ元妃がこのイベントに参加したのがたった一度だけというのは驚きだが、一度だけ参加した96年に注目の的となったことに驚きはない。

当時、ダイアナ元妃はコンコルドでニューヨークに到着してわずか数時間後には会場であるメトロポリタン美術館に姿を見せた。4カ月ほど前に英チャールズ皇太子(当時)と離婚して以降、一挙手一投足をカメラに追われ、元妃のまわりは騒がしさに包まれていた。そのような中、友人でありハーパーズバザー誌編集長のリズ・ティルベリス氏とともに、メットガラの象徴的な階段を上ったダイアナ元妃が注目を浴びようとしていたのは明らかだった。

これは、元妃の選んだドレスだけでなく、デザイナーの意図をはるかに超えるきわどいデザインへとひそかに手直しするという元妃の決断にも表れていた。ドレスは大胆なネグリジェ風で黒のレースがあしらわれたネイビーのスリップドレスだった。

このドレスは、ジバンシィを離れ、クリスチャン・ディオールのクリエーティブ・ディレクターに就任したばかりのジョン・ガリアーノ氏が手がけたもの。同年のメットガラのテーマはクリスチャン・ディオールだった。そしてガリアーノ氏にとって最初の仕事が、このイベントで最も有名な出席者であるダイアナ元妃の衣装をデザインすることだった。ガリアーノ氏はメットガラに先立ち、英ロンドンのケンジントン宮殿を訪れ、元妃にデザインを共有し、アイデアを話し合った。

友人のリズ・ティルベリス氏とともにメトロポリタン美術館の象徴的な階段を上るダイアナ元妃/Tim Graham/Getty Images
友人のリズ・ティルベリス氏とともにメトロポリタン美術館の象徴的な階段を上るダイアナ元妃/Tim Graham/Getty Images

昨年、動画配信サービス「Hulu(フールー)」で公開されたドキュメンタリーシリーズ「VOGUE:変革の90年代」でガリアーノ氏は、ダイアナ元妃にピンクの服を着るよう懇願したが「聞き入れられなかった」と振り返る。そして元妃はドレスを自分のスタイルで仕上げた。完成したドレスを受け取った後、ガリアーノ氏に内緒で大きく修正したのだ。

「イベントで彼女が車から降りてきたのを覚えている。信じられなかった。コルセットを取り外していたのだ」とガリアーノ氏はドキュメンタリーの中で明かした。「彼女はコルセットを着たくなかったのだ」

王室のドレスコードからの脱却

王室の伝記作家ケイティ・ニコル氏によれば、ダイアナ元妃は当時14歳だった息子ウィリアム王子が、この際どいいでたちに気まずい思いをするのではないかと心配していた。しかし、実際にはこの装いは報道陣や他の出席者から好評だったようだ。

「彼女はドレスを少しだけ華やかに、少しだけ美しく仕上げている。なぜなら、彼女はその両方を備えているからだ」と、キャスターのバーバラ・ウォルターズ氏はテレビ番組「ハードコピー」で語った。番組では、ダイアナ元妃を「芸術作品」と称賛。その週の後半、米紙ニューヨーク・タイムズの論説記事は、元妃が「セレブの回復力を発揮した」と評した。

このルックは、ダイアナ元妃が王室のドレスコードに縛られていないことをも示唆していた。ドレスコードに従っていれば、メットガラのようなイベントでは、間違いなく夜会服(あるいは少なくともはるかに露出度の低いフロア丈のイブニングドレス)を着用しなければならなかっただろう。ガリアーノ氏は先のドキュメンタリーで「彼女はとても解放されたと感じていた」と語り、変更されたドレスは当初のデザインよりも「はるかに官能的」だったと評した。

ダイアナ元妃は象徴的なサファイアとパールのジュエリーに身を包んだ/Richard Corkery/NY Daily News/Getty Images
ダイアナ元妃は象徴的なサファイアとパールのジュエリーに身を包んだ/Richard Corkery/NY Daily News/Getty Images

ダイアナ元妃が選んだジュエリーもまた、自身が取り戻した主体性を表していた。元妃はサファイアの婚約指輪をまさに左手の薬指に着けていたのだ。この新たな状況で指輪は自立の象徴となった。指輪は元妃に母親の婚約指輪を思い起こさせたと伝えられている。指輪を着け続けるという元妃の決断は、それを破綻(はたん)した結婚生活の名残ではなく、家宝として位置付けることになった。この指輪は後にウィリアム王子が2010年にプロポーズしたときにキャサリン妃にも贈られている。

一方、サファイアとパールのチョーカーは、「リベンジドレス」(チャールズ皇太子の不倫発覚後に着用したローカットのサテンドレス)と「トラボルタドレス」(1985年にジョン・トラボルタ氏と踊ったときのオフショルダーのドレス)に合わせて身につけていたものと同じだった。

そして、バッグはダイアナ元妃のファッションアイコンとしての地位を物語る。これは、前年にベルナデット・シラク大統領夫人(当時)から贈られたバッグのミニ版だった。ガリアーノ氏の前任であるディオールのジャンフランコ・フェレ氏がデザインしたこのオリジナルバッグは、元妃が幾度となく公の場で手にしていた。元妃が愛用していたことの影響力が非常に大きかったことから、ディオールは96年、元妃に敬意を表してこのバッグを「レディ・ディオール」に改名した。

テーマに沿いながら、象徴性に満ちたこのドレスは注目を集め、多くの点でメットガラにふさわしい完璧なルックだった。ファッション界の著名人らは5日に開催される同祭典で、文字通りダイアナ元妃の足跡をなぞろうと準備を進めているが、心に留めておくことがある。それはメットガラの階段で、ダイアナ元妃ほどの興奮をかき立てた人はほぼいないということだ。

原文タイトル:Remember when Princess Diana wowed the Met Gala in a risqué — and secretly altered — gown?(抄訳)

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