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湖に眠る氷山空母 ハバクック計画の秘密に迫る

カナダ・パトリシア湖の暗い水底。この場所には今でも、第2次世界大戦のすう勢を変えるはずだった秘密兵器が眠っている。

英国は当時、ドイツの潜水艦「Uボート」に対抗するため奇妙な策を考案した。巨大な氷山から空母を造るという案だ。氷山は豊富に存在しており、金もかからず、沈むことはないと考えられていた。奇想天外なようだが、このプロジェクトは当時の英首相チャーチルが自ら承認したものだ。

試作艦が建造された後、パトリシア湖では4カ月にわたり試験が行われた。その一部は今日に至るまで水中に残る。氷は溶けて久しいが、「ハバクック計画」は現在も姿をとどめているのだ。

戦略資材

英戦争省の部局では1942年、ジェフリー・パイクという名の異才の科学者が、大西洋の「Uボート航路」で連合国船舶を守る方策を見つけようと思考を巡らせていた。Uボート航路では当時、ナチスの潜水艦が猛威を振るっていた。鉄のような建造資材の供給が不足するなか、北極で氷塊を採取して南方に運び、その上に航空機を着陸させれば良いのではないか、と考えたのだった。

米国沖で追跡を受けるUボート=1942年
米国沖で追跡を受けるUボート=1942年

米メリーランド州セントメアリーズ・カレッジのスーザン・ラングレー教授は、「パイクはビクトリア朝後期の学者の生き残りのような存在だった。複数の学位を持っていたわけではなく、現在であれば誰からも相手にされないだろう。ただ、当時は確かに信頼されていた」と話す。

氷山はほぼ破壊不可能というのが当時の見方だった。豪華客船タイタニック号の沈没事故を受けて設立された国際的な氷山監視機関は、魚雷や焼夷(しょうい)弾をもってしても氷山の破壊は容易ではないと報告していた。

「パイクは氷を新たな戦略資材と考え、戦争を勝利に導くのではないかとみていた」「チャーチルもこの案を受け入れる構えだった」(ラングレー氏)

この野心的な計画にパイクが付けた名前は「HMSハバクック(Habbakuk)」。旧約聖書に登場する預言者ハバクク(Habakkuk)のスペルミスだった。

史上最大の軍艦

氷から軍艦を建造するのはやはり難しかった。ラングレー氏は「問題のひとつは、何らかの物体から航空機を離陸させる場合、水面から上甲板まで50フィート(約15メートル)の高さが必要になるということだった。しかし氷山は90%が水没しているため、水面下の部分は500フィート近くになる」と話す。


こうした艦船が移動するのは恐らく不可能に近い。また一部が融解した場合、氷山は不安定になり、給油を試みる航空機にとって問題が生じる。さらに、航空機の発着には別の資材で造った飛行甲板も必要だった。

「このため、船体には氷を使うものの、通常の船舶のように建造することに決まった。つまり、何らかの冷却システムにより凍らせた状態を保つ必要があった」

提案では軍艦は史上最大規模となるはずだった。大きさは全長約610メートル、全幅約60メートルとタイニック号の2倍以上。重量は200万トン超で、航空機300機を収容できるスペースを備える計画だった。

チャーチルは1942年12月4日、最高機密文書でこのプロジェクトを承認。そして試作艦の建造を要請した。

「無謀な計画」

氷が必要になった英国は、カナダに助けを求めた。試験を担当することになったのはカナダの国立調査機関。責任者のC・J・マッケンジーは空母の設計を「もう一つの無謀な計画」と評した。

マッケンジーは試験場としてアルバータ州のジャスパー国立公園にあるパトリシア湖を選定した。近くに良心的徴兵拒否者のキャンプがあり、無料の労働力として利用できたためだ。

1943年初頭には、全長約18メートルの試作艦が完成。建造には木製の壁や床、タール、冷却パイプ、湖にある巨大な氷塊を利用した。「試作艦は大きな靴入れのような構造で、中央部に巨大な氷のキューブがあり、周囲には冷却パイプが胸郭のように巡らされていた。氷の中央には小さな長方形があり、そこに冷却ユニットを設置していた」(ラングレー氏)

パトリシア湖
パトリシア湖

試作艦は確かに機能したが、円滑にはいかなかった。パイプの一部が損傷した状態で到着したことから、冷却システムで水を使うことができず、代わりに空気を送り込んだ。氷の強度に加え、構造そのものの実現性に関しても疑問の声が上がった。

3つの要因

こうした試験により、氷山空母が全くのおとぎ話ではないことが示された。しかし1943年中盤ともなると、プロジェクトは頓挫し始めた。

ラングレー氏によれば、頓挫の背景には3つの要因の複合があったという。

まず、北大西洋の恒久的な基地としてアイスランドを利用できる運びとなり、海上浮遊型の飛行場の必要性はなくなった。また、長時間の哨戒活動が可能な新型機も導入された。さらに、センチ波レーダーが開発され、Uボートの動向をより正確に追跡する助けとなった。戦況は連合国有利に傾き始めていた。

ラングレー氏は「この3点により、氷山空母は完成前からすでに時代遅れになっていた」と指摘。「実現は可能だったが、チャーチルが望んだようなスケールやスピード感ではなかった。構造そのものを造るのは可能だったが、実際に運用するのは非現実的だった」と話す。

ハバクック計画に触発されて1946年に描かれた絵
ハバクック計画に触発されて1946年に描かれた絵

カナダでの試験は1943年6月にすべて中止となり、チャーチルへも報告があった。

湖底には何があるのか

プロジェクトが中止になると、試作艦は冷却機構を取り外したうえで放置され、やがて湖に沈んでいった。地域住民の大半は事態を大まかに把握していたものの、そこにはある種の神秘的な雰囲気が漂い始めた。

水中考古学者でもあるラングレー氏がうわさを聞きつけたのは1982年。「氷で造った航空機」がパトリシア湖にまだ残っているという話だった。「そんなことはあり得ない」と思いつつも、さらに追求したいとの考えから84年に潜水調査を行った。

1984年にスーザン・ラングレー氏によって撮影された水中写真
1984年にスーザン・ラングレー氏によって撮影された水中写真

調査結果は博士論文にまとめ、現在は本も執筆中だ。ラングレー氏の研究を受けて、自分の目で見ようと少数のダイバーが一帯を訪れるようになった。

残骸は斜めに横たわっており、最も深い箇所では深さ約30メートルに及ぶ。水中の視界は悪く、始終暗いほか、夏には藻も大量発生する。残骸の目印になるよう、1988年には付近に記念額が設置された。

残骸の近くに設置されたプレート
残骸の近くに設置されたプレート

「これは最も浅い一角にあるため、大半のダイバーのように25メートルほど潜水できるのであれば、自分の目で確認することも可能だ」(ラングレー氏)

ただ、残骸が原形をとどめている部分は少ないことから、見に行く人は急いだ方が良さそうだ。

「今はひどい状態で、ほぼ完全に崩壊している」とラングレー氏。「状態が悪いのは時間の経過や重力に加え、あまりに愛されてきたためという事情もある。一風変わっていて、皆この話が大好きだから」

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