Architecture

柳京ホテル――北朝鮮の「滅びのホテル」を巡る物語

「滅びのホテル」と呼ばれる北朝鮮の柳京ホテル

「滅びのホテル」と呼ばれる北朝鮮の柳京ホテル/Alexander Demianchuk/TASS/Getty Images

1987年、北朝鮮の首都・平壌で新ホテルの起工式が行われた。ピラミッド型の超高層ビルは高さ300メートル超となり、少なくとも3000の客室と5軒の回転展望レストランが入る予定だった。

ホテルは平壌の古称にちなみ「柳京ホテル」と名付けられた。2年後に開業する予定だったが、その日はついに訪れなかった。

92年には予定の高さに到達したものの、その後16年間というもの窓はなく、内部は空洞のまま。むき出しのコンクリートが怪物のように街を見下ろしていた。いつしか「滅びのホテル」という通称が付いた。

やがてホテルには金属とガラスの外装が施され、夜は発光ダイオード(LED)の明かりで彩られるようになった。建設は再開と中断を繰り返し、果たして開業の日が来るのかという臆測を呼んだ。

今日に至るまで柳京ホテルは閉ざされたままで、世界最高層の未入居のビルとなっている。

柳京ホテルの2018年の様子/ED JONES/AFP/AFP/Getty Images
柳京ホテルの2018年の様子/ED JONES/AFP/AFP/Getty Images

冷戦の駒

柳京ホテルは冷戦の産物だ。背景には米国の支援を受ける韓国と、ソ連を後ろ盾とする北朝鮮の競争があった。着工の前年、韓国企業は当時世界一の高さを誇ったシンガポールのホテル「ウエスティン・スタンフォード」を建設。ソウルでは当時、1988年夏季五輪の開催に向けた準備が進められており、韓国は資本制民主主義へと移行しつつあった。

一方の平壌は1989年、社会主義版の五輪ともいえる世界青年学生祭典を開催した。北朝鮮はこれに合わせて巨大ホテルを建設し、韓国から世界一の座を奪う計画だった。

しかし、技術的な問題から祭典には間に合わなかった。政府は既に多額の費用を投じて新スタジアム建設や平壌市内の空港の拡張、新道路の舗装を進めていた。これが脆弱(ぜいじゃく)な経済の負担となる一方、ソ連崩壊により頼みの綱の援助や投資は枯渇した。

北朝鮮は経済危機に向かっていた。ホテルの外部構造は完成したものの、建設は92年に中断し、クレーンは屋上に放置された。

柳京ホテルの2008年の様子/Eric Lafforgue/Art in All of Us/Corbis/Getty Images
柳京ホテルの2008年の様子/Eric Lafforgue/Art in All of Us/Corbis/Getty Images

コンクリート構造

建物は3つのウイングで構成されており、それぞれに75度の傾斜がついている。頂点の15階分は円すい形で、レストランや展望デッキに使われる予定だ。

ピラミッド形にしたのは美的な考慮だけではない。高層ビルとしては異例なことに、鉄でなく強化コンクリートで作られているという事情もある。

シンガポールを拠点とする建築家カルビン・チュア氏は電話インタビューで、こうした形状の理由を「上層部をより軽くする必要に迫られたため」と説明。「彼らは高度な建築資材を持っていなかったので、全体をコンクリートで建設した。それでは細長いタワーは実現できない。巨大な基礎部分の上は先細りにする必要がある」と語った。

柳京ホテルの前で踊りを披露する朝鮮社会主義女性同盟のメンバー=2019年/ED JONES/AFP/AFP/Getty Images
柳京ホテルの前で踊りを披露する朝鮮社会主義女性同盟のメンバー=2019年/ED JONES/AFP/AFP/Getty Images

チュア氏によると、設計段階ではピラミッドではなく山に似せていた可能性もある。北朝鮮の象徴体系では山が重要な役割を占めるためだ。金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の父、故金正日(キムジョンイル)総書記の公式の伝記によると、正日氏は北朝鮮最高峰の白頭山にある秘密軍事キャンプで生まれたとされる。

第2の始まり

16年間の中断を経た2008年、建設は突然再開された。北朝鮮の3Gネットワーク構築の契約を結んだエジプト企業オラスコムとの合意の一環だった。

20年にわたり屋上にあった、古びてさびたクレーンはようやく撤去された。エジプト人技術者の支援を受けた作業員がガラス板や金属板を設置して外装を完成させ、建物に洗練された外観を与えた。このプロジェクトは11年に完了し、ついにオープンかとの臆測が飛び交った。12年後半にはドイツの高級ホテルグループ「ケンピンスキー」が13年半ばの部分開業を発表したものの、数カ月後、参入は「現時点では不可能」として撤退した。

コンクリートの外装/Eric Lafforgue/Art in All of Us/Corbis/Getty Images
コンクリートの外装/Eric Lafforgue/Art in All of Us/Corbis/Getty Images

長年ささやかれていた、未熟な建築技術や資材の影響で構造的に不安定なのではないかとのうわさも再燃した。

チュア氏は「外面から判断する限り、建物は構造的に堅固なように見える。だが、内部となると話は別かもしれない」と指摘する。

2012年のホテル内の写真では、内部でほとんど作業が行われていない様子が明らかになった。写真を撮影したサイモン・コッカレル氏は、北京の北朝鮮専門旅行会社「高麗グループ」の責任者で、ホテル内に入った数少ない外国人のひとりだ。

柳京ホテルのロビー=2012年/Simon Cockerell / Koryo Group
柳京ホテルのロビー=2012年/Simon Cockerell / Koryo Group

この時の経緯について、コッカレル氏は「誕生日プレゼントとして韓国の知人を通じて手配してもらった」と振り返る。「訪問ではまず、現場責任者からかなり前の動画を使ったプレゼンがあった。続けてロビーに案内されると、露出したセメントが数多くあった。さらに唯一稼働中だったエレベーターに乗って最上階に到達した。99階だったと思う」

外観こそ一変したものの、柳京ホテルはいまだ開業にこぎ着けていなかった。

より明るい未来?

柳京ホテルがよみがえったのは2018年。正面にLEDが設置されて平壌最大の光のショーで彩られるとともに、体制宣伝の道具に変貌(へんぼう)した。4分間のプログラムでは北朝鮮の歴史や政治標語を映し出し、最上部の円すいに巨大な国旗を投影する。

「初見のときは本当に驚く。何年も暗闇に眠っていたのだからなおさらだ」。そう語るのは何度も平壌を訪れた経験のあるCNN特派員、ウィル・リプリー記者だ。「主要行事のたびに明かりをともしているが、常時ではない。乏しい電力を節約しているのだと思う」

2018年に行われた光のショー/ED JONES/AFP/AFP/Getty Images
2018年に行われた光のショー/ED JONES/AFP/AFP/Getty Images

近年はホテル周辺で大規模工事が行われ、誰でも歩いて正面玄関に到達できるようになった(ただし中には入れない)。2018年6月には、朝鮮語と英語で「柳京ホテル」と簡潔に書かれた看板も取り付けられた。

それでも「開業の日が来るのか」という疑問は残る。「予想は非常に難しい。ガラス張りなので内部は見えない」とコックレル氏。「何かが起きていることは間違いない。巨大なビルであり、全館オープンの前に一部だけ開業する可能性も考えられない訳ではない」という。

柳京ホテルは朝鮮半島で最も高いビルの座から陥落した。2017年に完成したソウルの「ロッテワールドタワー」が240メートル近く上回ったためだ。北朝鮮国内では依然として最高峰だが、平壌には最近相次ぎ高層マンションが建っており、最も高いマンションとの差は60メートルに過ぎない。

  
      
デザインを通じて繁栄の幻影を描き出す 北朝鮮

北朝鮮政府は長年、体面を保つため、平壌の公式写真を加工して柳京ホテルを消してきた。だが、LED照明の設置は将来に向けたプランの存在を示している可能性もある。

リプリー記者は「北朝鮮政府は何とかしたいと思っているはず」と指摘。「特にガラス張りにする前は長年見苦しい光景だった。完工して金正恩委員長が視察に訪れ、国営メディアで大々的に報じられれば、平壌の注目スポットとしてもっと広く認められるのではないか」と語る。

「個人的には、内部の様子を見て、最上階まで登れたら魅力的だと思う。きっと桁外れの眺めだろう」

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