ANALYSIS

「自由で開かれたインド太平洋」、安倍元首相の一言が変えた米国のアジア観と中国観

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安倍氏提唱の「自由で開かれたインド太平洋」構想は、米国の政策にも影響を及ぼした/Shizuo Kambayashi/AP

安倍氏提唱の「自由で開かれたインド太平洋」構想は、米国の政策にも影響を及ぼした/Shizuo Kambayashi/AP

韓国・ソウル(CNN) アジア太平洋地域の多くの人々にとって、安倍晋三元首相は先見の明のある人物だった。台頭する中国を課題ととらえ、米国主導の政治・軍事同盟システムにもたらす影響について認識していたからだ。

今月8日、暗殺者の銃弾で殺害された安倍氏は生前、西側の同時代人の誰よりも多くのことに取り組み、その課題に対応してきたと言っていい。

首相の連続在任期間は歴代最長。多くの人々は、安倍氏の主導によりようやく日本が第2次世界大戦の影を脱することができたと記憶するだろう。

同氏は中国人民解放軍の急速な拡大を予見していた。世界最速レベルの経済成長に支えられた同軍が、地域の力の均衡を乱すだろうと見抜いていた。そして日本は、こうした変化の結果、戦後米国から与えられた平和的な憲法について再考する必要に迫られるだろうとも主張していた。

2014年、当時の安倍政権は同憲法の解釈を変更。理論上、自衛隊による海外での武力行使を可能とした。そのためのツールも与え、ステルス戦闘機を購入したほか、それらを艦載機とする戦後初の国産空母完成に向け、護衛艦の改装も進めている。

しかし、おそらく自国の防衛――多くの人々にとってはより広範なアジア地域の安全保障――に対して安倍氏が行った最大の貢献は、軍備ではなく言葉にある。つまり同氏が作り出したシンプルなフレーズ、「自由で開かれたインド太平洋」だ。

パラダイムシフト

このごく短い言葉によって、安倍氏は多くの外国の政治指導者たちを変えた。彼らがアジアについて語り、考えるその手法を変化させた。

現在、中国の指導部にとっては大変厄介な話だが、このフレーズは至る所で聞かれる。米軍が題目のように唱えるほか、誰であれ意欲的な西側の外交官なら、好んで口にする言葉になっている。

そのためつい忘れそうになるが、安倍氏以前にはこれらの分野で「インド太平洋」なるものを語る人はほとんどいなかった。

07年以前に米国政府が好んでいたのは、アジアをオーストラリアから中国、米国にまで広がる地球上の巨大な領域として概念化し、「アジア太平洋」と呼称することだった。

この概念は中国をその中心に据えており、安倍氏には受け入れ難いものだった。多くの日本人と同様、同氏は中国政府の影響力が伸長すれば自国がはるかに規模の大きい隣国から不当な扱いを受けかねないと危惧していた。

安倍氏の目的は、世界に対し、もっと大きなレンズを通してアジアを眺めるよう促すことだった。「インド太平洋」というそのレンズは、インド洋と太平洋の両方にまたがる概念で、07年のインド議会での演説で初めて提唱された。演説のタイトルは「二つの海の交わり」だ。

このようにアジアの境界を捉え直すことには2つの意味があった。まず地理的な中心が東南アジア及び南シナ海に移った。好都合にも人々の注目が集まったその地域では、中国政府が多くの国々と領有権争いを繰り広げていた。

次に、おそらくもっとも重要な点だが、結果的にある一国が表舞台に登場することになった。純粋に国の規模だけで中国の対抗勢力となり得る国、すなわちインドだ。

横浜に停泊する海上自衛隊のヘリコプター護衛艦ひゅうが=2009年撮影/Toru Yamanaka/AFP/Getty Images
横浜に停泊する海上自衛隊のヘリコプター護衛艦ひゅうが=2009年撮影/Toru Yamanaka/AFP/Getty Images

インドを迎え入れる

安倍氏は「インドの重要性を認識し、民主主義の立場から将来の中国覇権に対して均衡を保つ役割を担うと考えていた」。そこで「組織的にインドの指導者らへの呼びかけを開始し、構想の中へと引き入れた」。米研究機関イースト・ウェスト・センターのジョン・ヘミングス氏は20年に発表した安倍氏の評価の中でそう記した。ちょうど首相としての2度目の任期を終えるころだった。

「民主主義国であるインドをアジアの将来に含めることは、地政学的のみならず地経学的にも望ましかった。インドの人口と民主主義体制は、中国の同等に膨大な人口並びに権威主義体制と釣り合いが取れていた」

安倍氏が原動力となって進めた枠組み、日米豪印戦略対話「QUAD(クアッド)」はインドを他の3カ国との提携へと引き込んだものであり、立ち上げは前述した「二つの海の交わり」の演説と同年だった。

この提携のルーツは04年に発生したインド洋大津波での救助活動にあるが、「イデオロギー的要素」を帯びるようになったのは06年の安倍氏による選挙演説においてだったと、米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)は指摘する。その後07年に戦略フォーラムとして生まれ変わり、半ば定期的に首脳会談や情報交換、そして極めて重要な合同軍事演習が行われるようになった。中国はこれに対し抵抗感を示した。

数カ月後、安倍氏は自らの掲げる「拡大アジア」「広大なネットワーク」の構想を明らかにした。それによって結ばれた国々は、自由と民主主義、共通の戦略的利益といった「基本的価値」を共有する。

こうした説明からは、中国の入り込む余地がほとんどないように思われる。同国はこれ以降クアッドに脅威を抱き続けており、王毅(ワンイー)外相は米国を公然と非難。「北大西洋条約機構(NATO)のインド太平洋版」によって中国を取り囲もうとしていると主張した。

ガンジス川のそばで会談する当時の安倍首相(左)とインドのモディ首相=2015年12月撮影/Prakash Singh/AFP/Getty Images
ガンジス川のそばで会談する当時の安倍首相(左)とインドのモディ首相=2015年12月撮影/Prakash Singh/AFP/Getty Images

自由で開かれたインド太平洋

一時期、中国の敵対心がクワッドをつぶすかに見えたことがあった。中国政府による経済的報復の脅迫を受け、08年に枠組みが崩壊。ここで安倍氏が再び積極的に動いた。

外務省によれば、安倍氏が最初に自身の「自由で開かれたインド太平洋」構想について説明したのは、16年のケニアでの基調演説だったという。

構想は「3本の柱」からなっていた。第一に法の支配や航行の自由、自由貿易などの普及と定着、第二に経済的繁栄の追求、第三に平和と安定の確保だ。

こうした言い回しが「中国政府を際立たせる役割を果たした。自国中心主義を一段と強めつつアジアの将来を見据える同国の構想が浮き彫りになった。一方で開放性と価値観を奨励し、域内で態度を決めかねている国々にアピールした」と、イースト・ウェスト・センターのヘミングス氏は分析する。

安倍氏がケニアで演説した翌年、クアッドは再生した。そして当時のトランプ米政権は、独自の概念としての「自由で開かれたインド太平洋」を発表した。

安倍氏の死去まで、クアッドは相当に拡大していた。過去2年間、4カ国は2度の合同海軍演習を実施。「自由で開かれたインド太平洋」の促進を合言葉に集結した。

安倍氏の遺産

安倍氏の死後、英シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)で日本部門の責任者を務めるロバート・ウォード氏は、安倍氏がどのように自身の国の外交政策を再構築したかを記した。「日本及び地域の秩序に対する脅威をいち早く認識したことが原動力になった。それは中国の急速な台頭がもたらしたものだ」

その意味で「同氏の遺産の重要性を誇張するのは難しい。それは日本の内外に転機をもたらすものだった」と、ウォード氏は記した。

安倍氏の影響力が広範に及んでいたことは、死後に寄せられた追悼の言葉から明らかだ。

弔意を表した政治家の中に、インドのモディ首相がいた。同氏は07年に会って以来、安倍氏を「親愛なる友」と呼んでいる。9日には安倍氏のため、国を挙げ喪に服することを宣言した。

思いがこもっているのは米国からのメッセージも同様だ。米国は中国の最大の競争相手であり、日本にとっては最大の軍事同盟国となる。

安倍氏の下、米国と日本の関係は「新たな水準」に達したと、米シンクタンク、センター・フォー・アメリカン・プログレスのアジア担当上級研究員、トビアス・ハリス氏は指摘する。バイデン大統領が全国のあらゆる公共施設と世界中の連邦施設で半旗を掲揚するよう命じたのはその表れだった。

ホワイトハウスの公式の追悼文もそうした認識を反映していた。そこでは安倍氏を米国にとって「信頼できる友」とし、「両党の大統領とともに、両国間の同盟を深化させるべく尽力した。開かれたインド太平洋のために、共通の構想を推し進めた」とたたえた。

2014年、ニューヨークで顔を合わせる安倍氏(右)とバイデン氏/Spencer Platt/Getty Images
2014年、ニューヨークで顔を合わせる安倍氏(右)とバイデン氏/Spencer Platt/Getty Images

追悼の言葉

ここでもまた、「自由で開かれたインド太平洋」という文句が登場する。

このフレーズは、米国の政治や軍事に関わる声明の随所に見られるようになった。18年、ハワイに司令部を置く米太平洋軍はその名称をインド太平洋軍に改めた。「米国が西方向を注視する中、インド洋と太平洋の結びつきが一段と増している」ことを念頭に置いた措置だ。

昨年12月、インドネシアでの「自由で開かれたインド太平洋」と題した演説の中で、ブリンケン米国務長官は米国政府の意向として「同盟国や提携国と力を合わせて、ルールに基づく国際秩序を守る」と明言。「我々はそうした秩序を数十年かけて築いてきた。地域を確実に開かれた状態に置き、アクセス可能なまま保つためだ」と述べた。

そして先月シンガポールで開かれた「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)」では、オースティン国防長官が「ルールに基づく国際秩序」もしくはそれに類する言葉を8回口にした。

岸田文雄首相はこの言葉を19回用いて「自由で開かれたインド太平洋」構想を進める日本の姿勢を説明。同構想は国際社会から広範な支持を得ているとの見解を示した。

この広範な支持こそが、安倍氏の残した極めて永続的な遺産かもしれない。称賛すべきその構想について、安倍氏は8年前のシャングリラ・ダイアローグでの自身の演説で遠回しに言及していた。

2021年12月、インドネシアのジャカルタで「自由で開かれたインド太平洋」と題した演説を行うブリンケン米国務長官/Oliver Douliery/AFP/Getty Images
2021年12月、インドネシアのジャカルタで「自由で開かれたインド太平洋」と題した演説を行うブリンケン米国務長官/Oliver Douliery/AFP/Getty Images

聴衆に向けたその内容は、日本政府が覚悟を持って先頭に立ち、地域を繁栄させながら全ての人を豊かにするというものだった。安倍氏はこの中で、あらゆる国々に国際法を順守するよう呼び掛けた。そうすることで将来世代がこうした恩恵を共有できるとの認識を示した。

「この広い、太平洋、インド洋のように、私たちの可能性は、どこまでも広がっています」。安倍氏はそう語った。

本稿はCNNのブラッド・レンドン、アンドリュー・レイン両記者による分析記事です。

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