タイムライン:北朝鮮の核問題

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2007年12月31日:期限? なんの期限?

北朝鮮は核開発プログラムの全てを申告しなかった。北朝鮮は後に、6者協議の合意で必要とされたものを満たすだけの十分な情報をすでに提供していると主張したが、他の協議参加国はこれに異議を唱えた。

2008年5月8日~6月27日:進展

北朝鮮は、訪朝した米当局者ソン・キム氏に核開発に関連した数千枚の書類を手渡した。そのなかには、プルトニウム製造に関するものも含まれていた。象徴的な行動として、寧辺(ヨンビョン)核施設の冷却塔が破壊された。

2008年12月8日~12月11日:さらなる協議

6者協議が北京で開催された。核施設と疑われている場所へ査察官を無制限に立ち入らせることを北朝鮮が拒否したために、話し合いは決裂した。

2009年1月:北朝鮮に貯蔵されているプルトニウムの大部分が「兵器化」

米国の学者セリグ・ハリソン氏が訪朝し、北朝鮮の高官と会談。会談の後、ハリソン氏は、北朝鮮が貯蔵してあるプルトニウムの大部分を兵器化したと高官が主張していると報告を行った。兵器化されたプルトニウムの量は核爆弾4個か5個に相当すると考えられた。

2009年5月25日:2回目の核実験

北朝鮮は、2度目の核実験を実施したと発表した。その直前には、米地質調査所(USGS)が最初の核実験が行われた地域でマグニチュード(M)4.7の揺れを観測したと明らかにしていた。ホワイトハウスは、北朝鮮が短距離ミサイルの発射実験も行ったと明らかにした。

2009年6月12日:経済制裁と非難

北朝鮮が5月25日に行った核実験を非難する安保理決議1874が採択された。国連はまた、新たな制裁を科し、大部分の武器について北朝鮮への販売や北朝鮮からの購入を禁止した。

2010年11月20日:新しい施設

米スタンフォード大のジークフリード・ヘッカー教授のリポートによれば、北朝鮮は、遠心分離機2000機を備えた新しい核濃縮施設を保有しているという。ヘッカー教授は、前例のない、北朝鮮の核施設や文書へのアクセスが認められた。

2011年12月17日:金正日総書記が死去

金正日(キムジョンイル)総書記が死去した。死因は心臓発作と報じられた。北朝鮮の朝鮮中央通信(KCNA)によれば、金総書記の死に際して、激しい吹雪はおさまり、白頭山の上空が赤く輝いたという。北朝鮮最高指導者の地位は息子の金正恩(キムジョンウン)氏が継いだ。

2012年2月29日:ミサイル発射の凍結

米国務省は、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験の凍結と寧辺(ヨンビョン)にある核施設の稼働停止で合意したと発表した。

2012年4月13日:長距離ロケット実験に失敗

北朝鮮による長距離ロケットの発射が失敗に終わった。打ち上げ後まもなく、ロケットは空中分解し海に落下した。日本、韓国、米国はこれは宇宙計画を装った長距離弾道ミサイル発射実験だったとみている。

2012年12月12日:「人工衛星」を発射

北朝鮮が長距離ロケット「銀河3号」の打ち上げに成功。搭載した「人工衛星」を衛星の軌道上に乗せた。発射時期については延期の可能性が示唆されていたが、実際の打ち上げは当初予告された期日内に行われた。

2013年1月24日:「不倶戴天の敵」

北朝鮮の国防委員会が声明を出し、核実験並びに長距離ロケット発射の継続を宣言した。これらの計画について「朝鮮人民の不倶戴天(ふぐたいてん)の敵である」米国を狙った「全面的な対決行動」の一環であると主張した。

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