ロンドン(CNN) ビートルズは一緒に、世界で最も長く愛されるラブソングをいくつか作曲した。一方、ジョン・レノンのラブレターは、より気取らない異なる種類の詩情を醸しだしているほか、ポール・マッカートニーへのやゆも含まれている。
これらの手紙のうちの1通が7月9日にロンドンで、クリスティーズの競売に出品される。予想落札価格は最高で4万ポンド(約780万円)とみられている。
当時21歳だったレノンは独ハンブルクにいる間、将来の妻となるシンシア・パウエルを恋しがって、こうつづった。「愛してる、愛してる、愛してる。狂おしいほど恋しい。日曜版の新聞とチョコレート、そしてドキドキとともに、きみのアパートに向かっているところだったらいいのに。ああ、ほんとうに!」
4ページにわたる手紙の別の箇所では、マッカートニーのいびきについて不満を吐露している。「ポールが僕の頭の上で跳びはねている(彼は二段ベッドの上にいて、いびきをかいている)・・・静かにしろ、Mcarntey(原文ママ)」

ジョン・レノンさんと妻のシンシアさん=1964年4月/NCJ Archive/Mirrorpix/Getty Images
クリスティーズの書籍・原稿部門の責任者トーマス・ベニング氏は「この手紙の、ふわふわとして、ふざけた卑猥(ひわい)さには心を打つものがある」と語った。
「この手紙はレノンとシンシアの恋する若者2人を描いており、特にレノンのとても屈託のない無防備な姿を見ることができる」(ベニング氏)
レノンはこの手紙を、ビートルズがハンブルクのスター・クラブで初めてとなる常設の公演を行っていた1962年4月19日から24日までの6日間で記した。パウエルはおそらく検閲のために、手紙から小さな部分を2カ所削除した。
「この時点で、レノンにとって人生はとてもシンプルだと感じた。ビートルズと音楽を演奏し、家に帰ってシンシアに会うだけだった」(ベニング氏)
「レノンはまさに今を生きている。疲れ果てながらも幸せで、二段ベッドの上で寝ているポールのいびき以外何の心配もない。6カ月もたたないうちに全てが変わり、人生は二度とあれほどシンプルにはならなかった」(ベニング氏)
当時、まだ比較的知られていなかったビートルズは、リンゴ・スターではなく、ピート・ベストをドラマーに迎えた布陣で無関心な観客を相手に演奏に励んだ。
レノンが手紙を書き始めるわずか9日前に、バンドのメンバーだったベーシストのスチュアート・サトクリフが21歳という若さで脳出血により突然亡くなった。
手紙は、親友の死と、サトクリフの婚約者に会いに行くことへの不安について触れて始まっている。
レノンとパウエルは62年8月に結婚し、63年4月に息子のジュリアンが誕生。その5年後に2人は離婚した。
◇
原文タイトル:John Lennon’s ‘smutty’ love letter to first wife up for sale(抄訳)