(CNN) 中国・河南省にある少林寺の近くの武術学校で、少林寺の若い僧侶が、体を水平に保ちながら、壁の側面を駆け抜けている。顔の表情からは強い集中と、やや驚いている様子がうかがえる。
そのすぐ下では、4人の修行僧たちがのんびりとくつろいでおり、自分たちの頭上で重力を感じさせないアクションが行われていることに気付いていない様子だ。
背後の土壁とは対照的に、彼らが身に付けている鮮やかなオレンジ色の袈裟と白いフェイユエの武術用スニーカーが際立っている。
また写真の左側にぼんやりと写っている男性の後ろ姿が、写真中央の鋭い動きを際立たせている。さらに4人の修行僧の背後では、別の僧侶がストレッチをしており、見事な開脚ポーズを披露している。
この写真を撮った写真家のスティーブ・マッカリー氏は、フィラデルフィアの自宅からビデオ通話でCNNの取材に答え、この写真の構図について、「一人の僧侶が高度なアクションを披露している」と述べ、「一方、この4人の少年たちはただくつろいでいるだけだ」と付け加えた。
この写真は、国際的な写真家集団マグナム・フォトが開催したスクエア・プリント・セールで、他の写真家の作品とともに販売された。
写真が撮られたのは2004年のことだ。
マッカリー氏は、個人的なプロジェクトの一環で、世界を旅しながらさまざまな形の仏教を記録していた時にこの写真を撮影した。
マッカリー氏は自分が仏教徒だとは思っていないが、長年、仏教に興味を持ち、教義の一部を自身の生活に取り入れている。
少林寺は、西暦495年に聖なる山、嵩山(すうざん)の斜面に創建され、禅宗の発祥地とされている。禅宗は非暴力を強調しているが、少林寺の武僧たちは当初、山賊から身を守るために武術を学んでいた。やがて彼らの厳しい鍛錬は、悟りを開くための修行になくてはならないものとなった。
今日、少林拳は広く知られており、少林寺の武僧たちの技や動きを模倣した映画が数多く制作され、人気を集めた。中国出身のアクション俳優ジェット・リーの映画デビュー作で、実際に少林寺で撮影された1982年公開の映画「少林寺」は、同寺に新たな関心が集まるきっかけとなった映画の一つだ。マッカリー氏が2004年に少林寺を訪れた時には、同寺に通じる道沿いに何十校もの武術学校が立ち並んでいたという。
マッカリー氏は「(少林寺の)僧侶たちの演武や練習を見学できるのはすばらしい経験だ」と述べ、「人が実際に自らの肉体であのような動きができるなど、とても想像できない」と付け加えた。
世界を旅する写真家
マッカリー氏は、ペンシルベニア州立大学を卒業後、地元の新聞社でキャリアをスタートさせた。その後、フリーランスの写真家として海外に出かけ、人里離れた危険な場所に住む人々の写真を撮るようになった。
しかし、マッカリー氏の写真家としてのキャリアが本格的に始まったのは、ソ連がアフガニスタンに侵攻する直前の1979年にパキスタンからアフガニスタンに密入国した時だった。マッカリー氏は、フィルムを衣服の中に隠して持ち出し、少なくとも50万人のアフガニスタン人が死亡し、数百万人が住む場所を追われた紛争の様子を撮影した世界初の写真の一部を世界に公開した。
マッカリー氏が84年に撮った写真「アフガンの少女」は、世界で最も有名な写真の一つだ。パキスタンのペシャワルの難民キャンプで暮らす12歳の難民の少女の鋭い緑色の目をとらえたこの写真は、85年6月に米誌「ナショナルジオグラフィック」の表紙を飾った。
現在74歳のマッカリー氏は、50年に及ぶキャリアの中で、パスポートを20回以上更新し、西アフリカのニジェールからインドに至るまで、世界のさまざまな場所で動物、祭り、礼拝者、兵士、紛争、災害の写真を撮影してきた。
マッカリー氏は写真の中で、古代と現代の対比や、日常の中の興味深いものをとらえ、さらに見知らぬ人々の親しみやすさを強調している。
しかし2016年、ある写真展に出品した写真の一枚にデジタル加工が施されていたことが発覚し、批判を浴びた。マッカリー氏は、(写真の加工は)自分が旅行で留守の間にスタジオで行われたと説明したが、その後、加工されたと見られる写真が次々と見つかったことで、報道写真の倫理に関する議論が巻き起こった。
同年、マッカリー氏は米タイム誌とのインタビューの中で一連の疑惑に答え、ペンシルベニアの新聞社で短期間勤務した以外、新聞社、ニュース雑誌の出版社、報道機関で勤務したことは一度もないと述べた。
マッカリー氏は、フリーランスとして、広告キャンペーンなどさまざまな仕事を引き受けてきたが、自分の仕事は「芸術写真の分野に移行した」とし、自分は「ビジュアル・ストーリーテラー」と考えていると述べた。
またマッカリー氏は、自分がまだフォトジャーナリストだと考えている人々の混乱を招く恐れがあることは理解しているとした上で、今後は、個人的な旅行で撮った写真でもフォトショップ(画像編集ソフト)の使用は最小限にとどめると付け加えた。
河南省の嵩山にある少林寺は西暦495年の創建/Jeremy Horner/LightRocket/Getty Images
試行錯誤の末の一枚
マッカリー氏は、壁を走る僧侶の写真を撮る20年前にも少林寺を訪れている。少林寺を最初に訪れた時、同寺には全く人影がなく、見かけたのは「自転車と人民服を着た人々」だけだった、とマッカリー氏は当時を振り返る。
しかし、マッカリー氏が少林寺を再び訪れた時には、中国でカンフーブームが広がっていた。少林寺の周辺は商業的な雰囲気が強まり、相次いで公開されたカンフー映画に刺激を受けた数万人の少年や成人男性たち(その大半は中国人)が、その地域に数十校ある武術学校で練習に励んでいた。
マッカリー氏は、そのうちの一校から許可を得て、数日間、僧侶たちと過ごし、彼らがアクロバットの反復練習などの日課をこなす様子を見守った。
若い修行僧の中には、通りの向かいにあるラーメン店でマッカリー氏と食事を取りながら、将来はセキュリティーサービス、パフォーマンス集団、芸能界で働きたいという希望を語る者もいた。
マッカリー氏は「彼らはごく普通の子どもたちだった」とし、「しかし、非常に熱心で、真剣に練習に打ち込んでいた」と付け加えた。
マッカリー氏は、その学校に滞在している間、僧侶たちが厳しい修行に励む様子をとらえた他の写真も撮った。その中には、手を合わせて祈りのポーズを取りながら、上下逆さまの状態で宙づりになっている僧侶たちの写真もある。
マッカリー氏は、僧侶たちが技を極める中で、被写体、角度、光、背景といった変数の適切な組み合わせを模索した。
「写真を何度も撮り直し、試行錯誤を重ねた」とマッカリー氏は振り返る。
その根気は報われた。マッカリー氏は、努力の集大成とも言える壁を走る僧侶の写真について「これはさまざまな感情を呼び起こす写真だ」と述べた上で、「この写真を見た人は、笑みを浮かべるか、若い修行僧たちの(驚異的な)身体能力に畏敬(いけい)の念を抱くかのどちらかだ」と付け加えた。