古代の遊牧民が築いた帝国の秘密、DNAで解明

モンゴル西部にある匈奴の墓地跡の発掘現場/J. Bayarsaikhan

2023.04.19 Wed posted at 18:07 JST

(CNN) ある遊牧民の帝国が、紀元前200年から3世紀にわたりアジアの平原を支配していた。彼らはシルクロードで交易を行い、精巧な墓地を死者のために築き、馬を駆って遠方の土地を征服した。

匈奴(きょうど)の名で知られるこの帝国と強力なライバル関係にあった古代中国の王朝は、防衛のため万里の長城を建設。その一部は現在も残っている。

しかし、当時の歴史を伝える文字史料は中国の年代記作者による記述のみ。その中で匈奴は蛮族とみなされているが、帝国や民族の実像は長く歴史の陰に閉ざされてきた。

だがここへ来て、古代のDNAの証拠と近年行われた考古学上の発掘の成果を組み合わせることにより、あの時代最も強大だった政治勢力の一つにまつわる秘密が明らかになろうとしている。

国際的な科学者チームがこのほど、匈奴の支配地域の西側にある墓地2カ所についての遺伝子研究を完了した。現在のモンゴルに位置するこれらの墓地は、それぞれエリート官僚と地元の有力者のために作られたものだ。

科学者らは両方の墓地に埋葬された17人の人物の遺伝子情報を解析。そこに「極めて高いレベルの」遺伝的多様性があることを突き止めた。これにより匈奴の帝国は多民族、多文化、多言語だった公算が大きくなったという。この新たな研究に関する論文は14日、科学誌サイエンス・アドバンシーズに掲載された。

個別の共同体に見られるこうした遺伝的多様性は、匈奴の帝国が単に共通の利害で結びついた同質の集団ではなかったことを示唆する。

匈奴のシンボルとして用いられた黄金製の太陽と月の表象

「匈奴が勢力を拡大した過程について、より深い知見が得られた。彼らは全く異質な集団を統合し、婚姻や親族関係を利用して帝国を建設していった」。論文の上席著者を務め、ソウル大学校で生物科学を専攻するチョン・チュンウォン准教授は、報道発表の中でそう説明した。

研究対象となった個人の墓のうち、最も高位の部類に入るものは女性を埋葬する墓だった。この点から、匈奴の社会において女性が特に強力な役割を担っていたことが示唆される。精巧な棺(ひつぎ)を特徴づける黄金製の太陽と月の表象は、匈奴にとっての権力のシンボルだ。ある墓の中には、6頭の馬の遺体とそれらが引いたとみられる古代の戦車の遺物が入っていた。

ミシガン大学で中央アジアの美術と考古学を専攻し、今回の研究調査にも携わったブライアン・ミラー助教は、こうしたエリートの女性たちについて、高い尊敬を集めており、葬儀に参列したすべての人々からたくさんの供物を捧げられたと指摘。共同体の社会において、その生涯を通じ重要な役割を果たし続けていたことがうかがえると述べた。

この他、匈奴の青年期の若者は大人の男性と同様、弓矢と共に埋葬されていることも分かった。11歳より若い少年には、そうした副葬品は見られなかった。

独ボン大学の先史考古学者、ウルスラ・ブロセダー氏は、遺伝子を活用した今回の研究が匈奴の社会機構に対するより深い洞察をもたらしたと指摘。今後この種の研究がさらに進むことに期待を示した。

同氏によると、匈奴を巡ってはこれまでしばしば誤った解釈がなされてきた。匈奴をはじめユーラシア大陸の平原から興った統治体制についての情報は、中国や古代ギリシャの文献に依拠したものがほとんどだが、それらの大半は遊牧民族を劣った立場にあるとみなしているからだ。

実際のところ匈奴が残した影響は強大で、ユーラシア大陸の平原を起源とする後世の遊牧民族の王国も彼らに感化されていると、ミラー氏は語る。チンギスハンを初代皇帝とするモンゴル帝国もその一つだという。

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