モーリシャス(CNN) モーリシャスは国土面積が2040平方キロほどしかなく、人口も100万人強の小さな島国だが、意外にもさまざまな人種、文化が融合する多文化国家だ。
住民の8割は、初期の入植者たちの子孫だが、インド系、アフリカ系、フランス系、中国系が混ざり合っている。そのため、この国の料理、音楽、建築には、豊かで文化的な多様性が感じられる。
歴史
この小さな国がこれだけの多様性を備えている理由の1つとして、過去に多くの国の植民地であったことが挙げられる。1638年にオランダの植民地になったのを皮切りに、フランス、英国に占領され、1968年に独立を果たした。
オランダ、フランス領時代、経済の主な担い手はアフリカ諸国から連れてこられた奴隷たちだった。島の人里離れた地域の多く(特にル・モーン山)は、脱走した奴隷たちの避難場所となった。
「フランス領時代は、全体の5%の奴隷が自分の土地を去り、独立を求めて人里離れた自然の多い場所に住み着いた。英国領時代には10%に増えた」と語るのは、地元の歴史学者ブリージャン・ブラン氏だ。
ブラン氏によると、「奴隷たちは(ル・モーン山のような)外部の人間と接触する機会のない孤立した場所に住んでいたため、奴隷制度が廃止されたことに気付かなかった。そのため、他の人々がその地域にやってきた時、多くの元奴隷たちは彼らが奴隷狩りに来たと勘違いし、山から身を投げ、自殺を図った」という。
モーリシャスでは1835年に奴隷制が廃止されたが、英国はインドから契約労働者をモーリシャスに送り込み、製糖業で働かせた。インドから約45万人がモーリシャスに移住させられ、その子孫の多くが現在も同国に住み、アフリカの国家であるモーリシャスにアジアの影響を与えている。
食べ物
料理ほどモーリシャスの多様性を端的に示すものはない。首都ポートルイスのにぎやかな中央市場には、キャッサバやしょうゆから、ダール、ロティに至るまで、世界各地の食品や農産物を求めて、数千人の人々がやってくる。
「ここに来れば何でもそろう。中華の売り場もあるし、クレオールの果物や野菜も売っている。われわれはいくつかの根菜、地元の食材、欧州の食材を混ぜ合わせて、1つの料理に仕上げる」と語るのは、モーリシャスの五つ星ホテルのシェフ、ビジェイ・パーラキーさんだ。
音楽
モーリシャスの人種的、文化的多様性を考えれば、この国の音楽にさまざまな音楽のスタイルが組み込まれているとしても驚くに当たらないだろう。この国の伝統音楽である「セガ」は、最近、ジャマイカ発祥のポピュラー音楽「レゲエ」の影響を強く受けた「セゲエ」と呼ばれる全く新しいスタイルの音楽に生まれ変わった。
「われわれは、モーリシャスが抱える真の問題を表現するための新しいスタイルの音楽をどのように始めるかを考え始めた。そして(セガと)最近、モーリシャスでも聞かれるようになったレゲエ音楽との融合に着手した」と語るのは、この新しいスタイルの音楽を支持する地元ミュージシャンのRas Natty Babyさんだ。
「(セゲエは)言わば、あらゆる物から解放された音楽だ。音楽に国境はない。権力者が音楽に国境を定めようとしても、音楽は風や水のように国境を越えていく。音楽の表現方法は無数にあり、音楽を遮断することはできない」(Ras Natty Babyさん)