親類9人が死亡、生まれ育った自宅も全壊 ガザ惨状はCNN記者にも

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煙が立ち上るガザ地区の写真。イスラエル南部から12月3日に撮影/Menahem Kahana/AFP/Getty Images

煙が立ち上るガザ地区の写真。イスラエル南部から12月3日に撮影/Menahem Kahana/AFP/Getty Images

(CNN) CNNプロデューサーのイブラヒム・ダーマン記者(36)は10月7日以来、パレスチナ自治区ガザでイスラエルの空爆による惨状や、逃げ場のない絶望的な状況を伝えてきた。

数週間後、家族を連れてエジプトへ脱出したダーマン記者は3日、ガザ北部に取り残されていた親類少なくとも9人が、おばの家に対する爆撃で殺害されたことを知った。

同じ日に、ダーマン記者が育ったガザ市内の家も、隣のビルに対する別の空爆で全壊した。

「私が生まれ育ち、私の子どもたちも生まれた家のことは、隅々まで決して忘れない」とダーマン記者は言う。

3日、一家のグループメッセージに、次々とメッセージが届き始めた。親類の自宅があったガザ北部ベイトゥ・ラヒアのビルがイスラエルに攻撃され、ダーマン記者のおじ夫婦と娘、孫2人に加え、おば夫婦と2人の子どもが死亡した。ほかにも親類の少なくとも2人が重体となり、まだがれきの下敷きになっている人もいる。

「ものすごく平和的で普通の人たちだった。働いて、息子と娘を育てることだけに全人生をささげていた」とダーマン記者は振り返る。「組織や集団とは何のかかわりもなかった」

SNSに投稿された映像には、ダーマン記者の親類を殺した爆発現場の様子が映っている。建物はコンクリート片とゆがんだ鉄鋼のがれきの山と化し、煙が立ち上る。道路には残骸が散乱していた。

ダーマン記者のおじは2日前、自宅のあるガザ北部シェイク・ザイエド地区の爆撃が激化したため、一家でおばの家に避難したばかりだった。ダーマン記者のおばはがんを患っていた。

親類の死を知らされる直前、ダーマン記者はきょうだいからの電話で、自分が生まれ育ったガザ市の家ががれきと化したことを知った。

ダーマン記者は10月7日のわずか3カ月前に、この家の改修を終えたばかりだった。爆撃が始まった当時は無人だった。

幸せな生活の記憶がそこにはあった。家族に囲まれてケーキとキャンドルで息子たちの誕生日を祝った家だった。

「私が残した思い出も、持ち物も、上司からの贈り物も、今は全て、がれきの下に失われた」

ダーマン記者の経験は、ガザで戦争の影響を受けない人はひとりもいない現実を思い知らせる。

10月7日、イスラム組織ハマスのテロ攻撃で始まったイスラエルの空爆で、ガザの全地区ががれきと化し、国連によるとガザ地区の住民の80%に当たるおよそ180万人が自宅からの避難を強いられている。

パレスチナ保健省によれば、10月7日以来、イスラエル軍のガザ攻撃で、子ども6000人を含むパレスチナ人約1万5200人が殺害された。

ダーマン記者は10月に、妻と2人の幼い息子を連れて必死の思いでガザ市の自宅から南部のハンユニスへ逃れた時の様子を詳しく伝えていた。当時は毎日爆発の音で目を覚まし、攻撃から家族を守るために何度も避難場所の移動を強いられ、幼い子どもたちと妊娠中の妻のため、苦労して飲み水と食べ物を探そうとした。

その全てを通じ、ダーマン記者は世界に向けてガザの現状を伝え続けた。

今はエジプトに逃れて一家でカイロに落ち着いているが、両親やきょうだいがガザに閉じ込められた状態が続く中、ダーマン記者は不安にさいなまれ続けている。

脱出後間もないころ、ダーマン記者は「平和は依然として遠い」と語っていた。

「私は長年にわたってたくさんの戦争を取材してきた。どれも今回の衝突とは比べ物にならない。ガザの全地区が破壊され、何千人もの女性や子どもや高齢者が死んだ。民間人が何をしたというのか」

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