Architecture

世界的建築家レンゾ・ピアノ氏、「建築」を語る

ERIC FEFERBERG/AFP/AFP/Getty Images

イタリア出身の世界的建築家レンゾ・ピアノ氏は、同業者と同じように、メディアから「スターキテクト(スター建築家)」と呼ばれることを好まない。しかし、ロンドンのザ・シャード、関西国際空港、マンハッタンのニューヨーク・タイムズ・ビル、そして代表作ともいえるパリのポンピドゥー・センターなど、これまで手掛けてきた数々の建築プロジェクトがピアノ氏の偉大さを物語っている。

ピアノ氏と同年代の建築家の中には作品に顕著な特徴が見られる人もいるが、ピアノ氏はあえて特徴的なスタイルを避けている。フランク・ゲーリーやダニエル・リベスキンドの建築は容易に見分けが付くが、ピアノ氏の作品は非常に見分けにくい。ピアノ氏はスタイルを(仕事上の)抑制要因と考えている。その代わりにピアノ氏が目指しているのは統一性、知性、そしてアプローチの一貫性だ。ピアノ氏はこれをフランス語で「共通のテーマ」を意味する「フィル・ルージュ」と呼んでいる。

ピアノ氏との昼食

ピアノ氏は、英国人建築家リチャード・ロジャース氏と共同でポンピドゥー・センターを設計した70年代初頭以来、拠点をパリに置いているが、筆者がピアノ氏と面会したのはイタリア北西部の都市ジェノバだった。ジェノバは、ピアノ氏が1937年に建設業を営む家庭に生まれた場所であり、また初めて建築設計事務所を開業した場所でもある。

ピアノ氏が手掛けた、ロンドンのザ・シャード/ Credit: Courtesy William Matthews/RPBW
ピアノ氏が手掛けた、ロンドンのザ・シャード/ Credit: Courtesy William Matthews/RPBW

「レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ(RPBW)」は、海を見下ろす緑豊かな山腹の段丘の上に立っている。ピアノ氏は1992年にこの場所に作業場を移した。

ピアノ氏の後に続いて急な階段を下りると会議室があり、そこでインタビューが行われた。ピアノ氏はいすに腰を下ろし、建築家という「大層変わった職業」について楽しそうに語り始めた。

ピアノ氏がデザインした、ニューヨークにあるホイットニー美術館/Credit: Courtesy Nic Lehoux/RPBW
ピアノ氏がデザインした、ニューヨークにあるホイットニー美術館/Credit: Courtesy Nic Lehoux/RPBW

「どこからか(話し)始めなくてはならないが、建築とは建物を建て、理解し、そして自分の手を使うことだ」とピアノ氏は語る。

ピアノ氏にとって建築は工学と技術であり、「軽さの感覚」、つまり重力に逆らうことだという。また建築は「倫理、美、詩の融合」であり、また芸術であると同時に科学でもあり、単純でありながら非常に複雑だ。

「常にきっかけとなる瞬間がある」

現在、ピアノ氏のチームは10人のパートナーと25人のアソシエイトで構成されている。ワークショップ・フェローの石田俊二氏(73)は、ピアノ氏と47年間仕事をしてきた。2人は言葉がいらないくらいお互いを知り尽くしているという。

事務所の隅にある大きな長方形の木製テーブルがピアノ氏の机だ。建築家にとってコンピューターは「必要かつ魅力的」な道具だが、ピアノ氏の机の上にコンピューターはない。ピアノ氏は「自分ではコンピューターを操作しない」という。

ニューカレドニアにあるチバウ文化センター/Credit: Courtesy Sergio Grazia/ADCK/Jean-Marie Tjibaou Cultural Centre/RPBW
ニューカレドニアにあるチバウ文化センター/Credit: Courtesy Sergio Grazia/ADCK/Jean-Marie Tjibaou Cultural Centre/RPBW

ジェノバに滞在中、ピアノ氏は頭に浮かんだアイデアを緑のフェルトペンでスケッチする。ピアノ氏の机の脇の壁にある金属製のクランプには、同氏が現在手掛けているプロジェクトの(たいていはA4の紙に書かれた)スケッチが掛けられ、ピアノ氏は常にスケッチの改良、加筆、抽出を行っている。ピアノ氏が行く所、アイデアが浮かびそうな所には常にスケッチがあり、大規模なプロジェクトになると、ピアノ氏が描くスケッチは幅が約6メートルにも及ぶという。

ピアノ氏は「(きっかけとなる)瞬間は常にある」と語る。ピアノ氏は南スーダンから国境を越えてウガンダに押し寄せる難民たちの窮状に心を痛めていた。ピアノ氏は「私は泣かなかった」と述べ、「たしかに胸を打たれるだろう。そうでなくてはいけない。胸を打たれずにどうして建物に熱意が持てるだろうか」と付け加えた。

また1971年にポンピドゥー・センターの建築設計コンペで優勝した時のことについて尋ねると、ピアノ氏は当時を思い出し急に陽気になった。

当時ピアノ氏は33歳、リチャード・ロジャース氏は37歳で、「ピアノ&ロジャース」は従業員数わずか5人の小さな建築事務所だった。ともにロンドンの建築専門学校AAスクールの講師だったピアノ氏とロジャース氏は、1カ月間、ポンピドゥー・センターの設計案の作成に専念した。ピアノ氏は、コンペの応募総数が681件だったこと、またジェノバで優勝を知らせる電話を受けた時のことをはっきりと覚えている。優勝を知らされた時、ピアノ氏はあぜんとしてそれが信じられず、電話をしてきた男性にもう一度繰り返すように頼んだという。そしてすぐにロンドンにいるロジャース氏に電話をした。

ポンピドゥー・センターの前でリチャード・ロジャース氏(左)と=2017年/Credit: MARTIN BUREAU/AFP/AFP/Getty Images
ポンピドゥー・センターの前でリチャード・ロジャース氏(左)と=2017年/Credit: MARTIN BUREAU/AFP/AFP/Getty Images

パリにあるピアノ氏のオフィスは、ポンピドゥー・センターの近くにあり、今でも定期的に同センターを訪れるという。

未来を見据えて

ピアノ氏は、建築士は非常に重要な職業と考えている。ピアノ氏は2017年に行われたルイジアナ近代美術館とのインタビューで、「建築士は単に建物を建てるだけではなく、市民でもあるので、人間や人間社会のためのシェルターを作る」と述べ、さらに次のように続けた。

「そしてこれはさらに面白くなる。なぜなら、自分が建てた建物の中で人々がともに暮らし、価値観を共有するからだ。それこそが、より良い世界を作るための第一歩になるのだろう」

しかし「問題は、レンゾが休養を全く取らないこと」と語るのは、ピアノ氏の個人秘書を務めるフランチェスカ・ビアンキ氏だ。「(ピアノ氏は)超人ではないかと思うこともある」とビアンキ氏は言う。

ビアンキ氏の証言を裏付ける出来事があった。われわれのインタビューの後、ジェノバで橋が崩落し、43人が死亡する事故が発生した。この時ジェノバに滞在していたピアノ氏は、新たな橋の設計の支援を申し出て、すでに地元の当局者に構想の一部を提示したという。

ピアノ氏が倒れるまで仕事を続けるつもりなのは明らかだ。ピアノ氏はビアンキ氏に「私が休む時は、永遠の休暇になるだろう」と言っているという。

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