19世紀の沈没船、豪州沿岸で発見 当時ならではの船員らの「副業」にも脚光

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海底から突き出た状態で見つかった、錨を巻き上げる揚錨機の一部/Ruud Stelten

海底から突き出た状態で見つかった、錨を巻き上げる揚錨機の一部/Ruud Stelten

オーストラリア政府によれば、同国沿岸には推計で8000の船舶及び航空機が沈んでいるとみられる。この中には現地への植民が始まった1700年代の船も含まれる。

ビクトリア州での金鉱山発見を引き金に、1850年代には中国人移民の労働者が大量に流れ込んだ。これを受け同州政府は、港湾から上陸する移民1人につき現在の価値で1300ドル(約19万円)超の税金を課したと、蘭豪文化センター(DACC)は説明する。

豪国立博物館によると、この課税を逃れるため、中国の仲介人はしばしば欧州の商船に金銭を支払い、移民をオーストラリアの他の港湾に輸送させていた。到着後の移民たちは差別的な扱いを受け、多くは金鉱山でも成功しなかった。それでも利益の大部分を仲介人に支払わなくてはならなかった。

ウィレム2世号は本来、オランダ本国とオランダ領東インド(現インドネシア)との通商を行うための船だった。しかしオランダに帰る前に乗組員らは香港から中国人移民を乗せ、南オーストラリア州のローブで降ろした。ローブは税金のかかるビクトリア州の主要な港湾から西に約400キロ離れている。移民たちはここから陸路で金鉱山を目指したと、ハンター氏は述べた。

今日に至るまで、警察の報告や乗組員による説明、裁判記録を検証してもこのような航海を船主が認可していたのかどうかは分かっていない。

しかしウィレム2世号が沈没する際、当時の地元住民らが海岸に集まって船長らの救出に尽力したことは記録に残っているとハンター氏は語る。

今後の探索で当時の乗組員の遺骨が見つかるなら、現在のローブの地元住民は彼らのために適切な埋葬場所を設置するだろうと同氏は考えている。

現時点ではまだ断定することはできないが、それでもハンター氏は船体の構造物の大半が砂の層の中で無傷で残っていそうだとの見方を示す。

沈没地点は海岸から遠かったため、生き残った乗組員たちも船に戻って自分たちの所持品を回収することはできなかった。従って調査を通じ、沈没当時船内にあった硬貨や容器、武器、種々の道具類が見つかる可能性もあるとハンター氏はみている。

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